老育 若い人との絆
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「かけがえのない日本の片隅から」
老育
地域のきずなの見直しが昨今ずいぶんと言われるようになった。
3月11日の大震災以来、地域の力の大きさは皆が少なからず感じている。
そんな折の地域の役員の輪番が回ってきて、何も役員に名を連ねなくともよかったのだが、皆が役員決めに押し黙る瞬間を黙っていられない性格のものは後悔覚悟で挙手してしまう。
それは祖父母のいや曾祖母からの受け継ぎのような気もしている。
人がいい・・というか 要するにお節介なのだ。
曽祖父は小さな村の村長だった。
村に人々の細かなことに目を配っていたのはその妻の曾祖母で、のんびりと穏やかな村長をしていた、と聞く。
祖父は中学校の教員だったから、そのまま村の教育委員会に長く籍を置いて、子供たちの育成を見守っていた。
そんな教え子たちに支えられる老後も幸せだったのかもしれなかった。
女に生まれた私は 何かの代表になったりするのは心臓に負担が来るほど、いやなのだが、労力を惜しみたくない、とは思う。
できることはなんとかしていきたいが、そんな風に役を引き受けると、人々の中には好きでやっていると、必ず思うらしい。
そんな思いを最近は素直に口でできるようになった。
するとどうだろう・・
そんな共感を得られることもままあるのだ。
皆 つらい思いを心に秘めて、仕方がない・・という気持ちから 少しでも何かの役に立ちたい、という気持ちが育ってきている。
そんな中に新しい人との縁と絆が生まれてくるのを感じることもある。
先人の辿った道を振り返りながら、若い人々の新しい能力に触れながら、まだ育てることのできる自分の力を見直す時期かもしれない。
つづく
友人が東北に心を寄せる自分に南部鉄の箸置きなどプレゼントしてくれました。
その優しさが身に染みてます。
声援に感謝します。
小夏庵にも→☆
by akageno-ann | 2011-07-04 00:16 | 小説 | Trackback | Comments(1)
Commented
at 2011-07-05 13:43
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