老育 苦労を知っている人
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「かけがえのない日本の片隅から」
老育
「苦労は買ってでも・・・」というが、しなくてもいい苦労を子供にはさせたくない。
そんな風に言った友人があった。
卑屈になったり、臆病になったりするからだ、という。
このように厳しい日本の経済状況の中にあって、必要以上に規制するような生活を子供たちにさせたくない、という中年の母親の気持ちが痛いほどにわかる。
日本が急に厳しい世情になった。
大きな災害を受け、まだその不安から抜け出せず、これからの状況を鑑みても、幸福感が薄い。
だが、その母親は続けた。
「今の子供たちはとても自由な生活をさせてきたし、苦労もなく、今現在もそのままに暮らせています。被災地の人々を思うと、この暮らしをありがたいと思うことが重要だけれど、子供たちは日々を楽しんで暮らしています。でも被災地の方たちのように、明日どうなるかわからない現状は同じなのです。せめて幸福である感覚はできるところまで保ってやりたい。そうすればその先に何があっても支えられ、また本当の意味で仕方がない、ということを感じられるでしょう・・」
そう聞いたとき、日本の太平洋戦争に突入する日本の状況を想像できた。
日本はあの暗黒の世界からここまで甦っている。
そこに期待するのだ。
だが、あまりに便利で快適な生活に慣れすぎてはいないか?
心の鍛えは必要だ、と敢えてここで提言しておきたい。
今の70歳代以上の人々は戦後の艱難辛苦を味わっている。
今こそ、その時代を思い起こし、若い人々を支えてもらいたい。
もてる力を「年をとったから・・」と簡単に引退をしないでもらいたい。
老育は老いてなお育ちゆく、というよりも老いつつまた人を育ててほしいのだ。
声援に感謝します。
小夏庵にも→☆
by akageno-ann | 2011-07-12 23:09 | 小説 | Trackback | Comments(0)