老育 光市の事件に思う
光市の母子殺害事件での最高裁判決が下され、被害者の遺族 本村 洋さんに心から敬意を表します。
あの事件の日のことを私はこのように思い出します。
光市は当時入っていた市民混声合唱団の団員がちょうど引っ越したばかりの場所でした。
その送別会で「美しい名前の街に・・」という言葉を聞いたばかりだったので、あの事件のおぞましさは対照的でした。
本村さん一家も引っ越したばかり、3人家族が出来上がったばかりの和やかな暖かい時間が流れていたはずだったのです。
あの最初の報道では私は愚かにも、本村さん本人も疑われている様子に惑わされました。
痛ましい事件は何か原因があったのだろうとも、思いました。
ところが日を追って、真犯人はつかまり、事件の様相を知るにつけて、あまりにも残虐で、純粋無垢な若い母と幼気な女の赤ちゃんが未成年の殺人者によって殺害されたのでありました。
それからの13年間、当時23歳だった本村さんは35歳に、しかし大変若く、まるで戦争に行っていたような、厳しい長い時間を過ごされた中で 犯罪被害者の会背負って、行動され被害者の権利が確立されるという努力をされました。
本村さんの真摯な冷静な態度を私は忘れてはならない、と感じています。
こうした辛い日々を論理的に学び、考え、訴えるという形にして過ごされ、今日の判決の日を迎えられて、なお「この裁判に勝者はない。事件が起こった時点で、みな敗者である。」と言われたその言葉の奥に潜んだ優しさを私は感じました。
本村さんに少しずつ暖かい優しい日々が訪れてくれるように願っています。
そして亡くなられた奥様弥生さんとお嬢さんの夕夏ちゃんのご冥福をここで改めて祈らせていただきます。
小夏庵は春です →☆
by akageno-ann | 2012-02-20 23:28 | 小説