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父と私のそれぞれの郷愁

二年前の外反母趾の手術から母は急に老け込みました。
おそらくは 手術時の麻酔と 半年近く片足が不自由で思うように動けなかった
せいだと思います。
私たち家族 とりわけ父の戸惑いは大変なものだったと思います。

毎日一緒に生活してきた相棒の急な変化はショックが大きく普通でしたら
早くからヘルパーの手を借りるとか、リハビリ病院に入院させるとか考えるところを
父は違いました。

自分のできる限りの共同のリハビリで母を回復させようとしていました。
その目的を[一緒に高知へ帰郷する]ということしたのです。

父の著書「万緑の港」という俳句エッセーに 終戦後に満州から、病身の実母を家族と
連れ帰った記録があるのですが、「どうしても故郷の高知にかえってから死にたい・・」と
覚悟して懇願していた父の実母露子の逸話を思い出しました。

あの時代の不自由な生活の中にも家族を離散させずに海の向こうの大陸から日本の四国という
小さな島のさらに山奥の家に連れ帰った記憶は・・老いた父に大きなエネルギーを与えていたように
思います。

父は昭和31年まで高知県で小学校教員をしていましたが、先輩の勧めで 東京都の教員試験を
受け直し故郷を後にしたのです。

それから60年 この東京で他の親戚とは離れて私たち小さな家族を守り続けてきたのです。

そういう感謝は忘れていませんが、父が少しだけ故郷への思いが薄らいでいるように思えて私は
少し批判的に見ている部分がありました。

私は高知で生まれていますから、祖父母の家や墓守をしなくてはならないと幼い頃から思っていました。
その思いからここのところ父の代わりに帰郷する回数が増えていただのです。

しかし父の久しぶりの帰郷は父の教え子 母の同級生 そして親せきの人々を喜ばせました。
そのことが先ず、私を感心させたことでした。
                                    つづく


by akageno-ann | 2016-10-29 16:17 | 老育 | Trackback | Comments(0)

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