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二人の父

私には二人の父がいると感じる
先ずは実父 そして義父
義父との方が35年という長い年月を一緒に暮らした。

結局ここへきて 義父の好みや生活状況を実父よりもしっかり把握している自分に気づく。
それは愕然とするが悲しいとは思えない・・
そうすることを実父は私に結婚するときに躾けたから・・

「まずはお一人のお父さんを第一に・・」というのが父の言葉だった。
何度その言葉を聞いたことだろう・・
だから私は父に結婚してからの愚痴は絶対に言えなかった。

また面白いことに その言葉を額面通り受け取ってくれたのが義父だった。
早くに妻を亡くされて、気の毒であるとは皆に思われていた方だから
それも当たり前なのだと思う

結婚して一年で 病身な義父を一人にはできなくて 同居した。
同居して馴染もうと努力していた矢先に 言われた言葉が
「近所の皆さんに お嫁さんが来てよかったですね・・寂しくないですねと
言われるが 実際は一人の時よりも二人が来たことで もっと寂しいものだ」と

愕然としたが・・そうなのだと素直に受け取り さらに努力する自分だった。

そういう環境を35年も続けてきたから さてここで実家にいきなり入り込んでも
父が本当に喜んでいるか?はいつも様子を見ながら注意深く過ごした。

父と母との二人だけの生活に入り込む私はたとえ実の娘であっても 異分子である
正直勝気な性格が似ている私たちは 家事でかち合うことの難しさも
義父との暮らしで学んでいる・・

だから静かに進めてきた・・
1カ月半・・実家の方での暮らしが過ぎた今・・そう今朝の話・・
家政婦のようにやるべきことをして朝食を出したあと
「それでは今日はこれで帰りますね。」と父に挨拶したら
「本当にありがとう・・きれいにしてくれて・・」
と初めて優しい父の言葉を聞いた。
まあ一か月半は早い方だ・・
家政婦のように・・・これは私がインドで学んだサーバントの心得だ

シャンティという我が家で丸二年生活を支えてくれた彼女のことを想い出す。
「イエス マダム」と先ずきちんと返事をする人だった。

できないことや知らないことは 小さな声だがきちんと「ノー マダム」と言える人だった。
私が35歳で 彼女は推定27歳・・
二人の子供と夫 その姑と5人暮らしの彼女は実にいいサーバントで
日本でいえば住込みの家政婦だった・・同じ建物の裏側にあるサーバントクオーターと
呼ぶ小さな部屋に住んでいた。

出過ぎたことを決してしないが 丁寧で 石造りの台所で私が日本から持って行った陶磁器や 
クリスタルを丁寧に扱い 一つも割らなかった・・私はいくつか割ったが・・

教えた日本料理は味見をせずにきちんと分量を覚え 天ぷらや フライがとても
上手だった・・
時間が来ると 「フィニッシュ マダム」と小さく声をかけて帰って行く・・

今日こんなことを想い出したのは NHKプレミアムシネマで「愛と哀しみの果て」という
古い映画を見たせいだ。
メルリ ストリープと ロバートレッドフォードのアフリカを舞台にした映画
これもインド時代に見た映画だった・・

メルリストリープ扮する男爵夫人に仕えるアフリカ人の使用人が実に当時のシャンティを
思い出させた・・
というよりあの頃この映画を見て シャンティとの関係をこういう風に暖かい絆で結ばれるよう
願ったことを想い出した。

シャンティは最後の日まで 私がインドを離れることをよく理解できなくて、 私の家まで
見送りに来てくれた日本人の友人が 「あなたが行ったあとに泣いていたよ・・」という
言葉を後にくれたときとてもうれしかったことを想い出した。

人との関係はどこかに接点をみつけ歩み寄ることができる・・とあのころから信じている。
もちろんできない場合もあるけれど・・



by akageno-ann | 2017-10-21 00:18 | 老育 | Trackback | Comments(1)

Commented by nanako-729 at 2017-10-22 21:40
annさん、こんばんは!
今夜は台風の風雨がすごいですね。
こんなに雨が降ってまたどこかで災害が起きたら・・・
と心配しています。

annさんとお父さま芯の強いところが似ているのですね( *´艸`)
インドのお話も興味深く感じます。
シャンティさんにもう会うことはないのでしょうね・・・
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