秋明菊に寄せて
一つだけ続けてきたことがあるといったら、それは家族の介護である。
結婚した一年目に夫の祖母が危篤になった。
教員をしていてちょうど学芸会の前日に舅から連絡をもらい
本家に赴いた。結婚以来初めて会う舅の妹(夫の叔母)がわざわざ新潟から自分の母
の最期を看取るためにすでに2カ月をその本家で寝泊まりして看病していた。
その小柄な優しい謙虚な様子の叔母の姿がずっと大きく印象に残り、家族を看取るという
ことを学ばせてもらったのだと思う。
あの頃在宅看護は今より自然な形で行われていたように思う。
それにしても自分の母親を常に綺麗に丁寧に看護する姿は今の私にどれほどできているか?
考えさせられるが、なんとか精神だけは受け継ごうと努力している。
舅をずっと同居で手助けしてしてきたが 舅の最期はちょうど一か月病院でお世話になった。
そのときの看護士さんたちが見事な方々で舅の様子にこちらの覚悟の必要なことをしっかりと
教えてくださり、手篤い看護で最期の日まで見守ってくださった。
早朝の電話で 「先ほどまでお話されていたのに急に呼吸が弱くなり、申し訳ありません
突然ですがすぐいらしてください。」との実に優しい丁寧な電話をいただいて
ちょうど朝の5時であったが冷静な思いで車を走らせたことを思い出した。
それから一時間ほどを義父の臨終に立ち会うことができて、私との30数年にわたる
同居を完結させてもらった。
静かな最期だった。
あの時の叔母は ご自身も高齢であったし遠方だったので
「やさしい兄が大好きだったので、最後までよく看てくださいましたね。
ありがとうございます。」と私への労いの言葉をその後も何度もお便りや電話で
くださって、報われた思いがあった。
25歳で出会ったその人の看護の姿は今実の親を看る自分にもとても大きな支えになっている。
その人は兄弟姉妹の中で一番遠く離れていたから最後はきちんと見送りたい・・・との
想いがあったのではないか・・と今改めて思う。
実家は近いのに私は嫁ぎ先での暮らしに力を注ぎ いつも両親には甘えていたのだ。
ここのところ帯状疱疹で苦しんだ父を看ながら いつかくるその日まで今までの
親不孝を少しでも取り戻せるだろうか?と思ったりしている。
しかし現実は実の親にはまだ甘えがあって あの叔母の様な心から優しい介護は
できていない様にも思う・・
そこのところを両親から最後に学ばされているように思う。
一週間ぶりに実家から自宅に戻って少し煮詰まっている自分の心をリセットして
また明日から 老いていく両親の介助をするが 夕刻 家長だった父が私を頼る
電話をしてきて ひどくさびしくなった。
ヘルパーさんはとてもいい方に来ていただいているのに、娘の帰りを母よりも
待っている父が電話の向こうにいた。

by akageno-ann | 2018-11-02 23:49 | 老育 | Trackback | Comments(2)
annさん、こんばんは!
朝晩は肌寒くなってきましたね。
ずっと家族の介護を身近に感じて過ごされていたのですね。
今ご両親が高齢になり自然と寄り添っていけるのは
その経験があったからこそ。
どうぞお疲れでませんように。
暖かくして・・・おやすみなさい(^^)/
朝晩は肌寒くなってきましたね。
ずっと家族の介護を身近に感じて過ごされていたのですね。
今ご両親が高齢になり自然と寄り添っていけるのは
その経験があったからこそ。
どうぞお疲れでませんように。
暖かくして・・・おやすみなさい(^^)/
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