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年度末・・インド帰国の思い出

ふと30年前を振り返る日になった・・
平成元年にインド ニューデリーから帰国してから
ちょうど30年が過ぎた。
大騒ぎで準備をして渡ったインドという国は・・今こうして思い出しても
魅惑的で面白い場所だった・・

汚さ・・とか暑さとか コレラ 肝炎 チフス・・など渡航前の説明では
一番大変な国の一つで 皆から心配と共に憐れまれたりしたことまで
懐かしい・・

認知症になった母なのに当時のことを話すと克明に覚えていてくれて
施設に入るとどちらも心にゆとりができて落ち着いて昔話をする
巷のテレビ番組で競って平成のニュースを放送するが 私の中の平成は
インド帰国後30年になる。

平成元年・・1月は7日まで昭和であった。
昭和天皇の御崩御のニュースをニューデリーで聞いた。
日本の哀しみに包まれる様子を新聞で知ったが、母も皇居に記帳に伺ったそうだ。

私は在インド日本国大使館にてやはり記帳した。
その朝は時の首相ラディブ ガンジー氏も記帳されていた。

異国で聞く平成という新しい御代の二文字を時の人小渕官房長官が掲げるのを
少しあとからビデオで知ることになり、他所事のように思われたことも本当だった。

西暦では1990年 1995年1月には 阪神淡路大震災、それから2000年を迎え 
2001年にアメリカで同時多発テロが夜のニュースの放映中に映像で知らされ・・
2011年3月11日は 東日本大震災・・と 多くの災害 テロという犯罪に見舞われる
ことになり、世界が震撼とした。

それから30年をこうして生き抜いてきて・・私はいったい何をしてきたのか?と
自問自答している。

その中で今先ず言いたいことは「いじめ」の問題だ。
私も子供のころからいじめには遭ったことがなん度もあり、逆に虐め返したことも
あったと記憶を掘り起こす・・
復習ではない・・母が虐められたら、その場で自分の想いを伝えなくてはいけない、と
あの頃はまだそういう指導が成り立つ時代だった。

しかし今の世はやはり早めに大人が入って行かなくては取り返しのつかない事態に
なることがしばしばある・・
親子関係の中で、子供が両親のうちの片方でいいから、助けを求めることができないし
また親もなかなか子供の変化に気づけない状況があるようだ。

私の知る母親の中に、見事な子供への救いの手を出した人がいるが、先日当時の頃の
状況を詳しく聞いてみた・・もちろん彼女はその時の辛さをしっかりと覚えていた。
集団スポーツの中での体力や体格について 差別してのけ者にしたり、コーチが先頭に
たって一人の部員を虐めて、それを子供たちが真似するようなこともあったようだ。

そんなとき子供は妙に帰りが遅かったり、活動の話をしなかったり、夜魘されていたり
と、遅ればせだが変化に気づいたという。

そして調度親の役員交替時だったので、忙しい仕事はしていたが、率先して役員を
引き受けたという・・役員をして内部をじかに見ると、自分の子供の位置や立場が
如実にわかったらしい・・

はっきりと虐めをやめるように忠告するきっかけを掴めたという。

尻込みしてはだめ・・集団で一人を虐めているときは ボス各の人間以外は
臆病でついて言ってることが多かったのだ・・とわかったそうだ。
結局彼女は「こわい かあちゃん」と言われるようになり、子供への虐めも
無くなったそうだ。

そんな強さを表に出さない彼女の子育てをみるとアッパレ・・と言いたくなる。
子供も大人も跳ね返すか 逃げるか・・見極めてしっかり行動しなくてはだめだ
と彼女はいう・・一匹狼を恐れてはいえない・・と

インドにいるとそれはそれで日本人社会での言い知れぬ 仲間外れや中傷により
虐めを受けることがあった・・しかし私は母より堂々としていなさい・・・という
指導を受けていて、腹は立ったが、一人でも大丈夫・・という強さを見せてしまった
そんな時代を平成は結構簡単には過ごさせてもらえなかった・・
                                   つづく
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by akageno-ann | 2019-03-31 23:56 | 小説 | Trackback | Comments(0)

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