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長崎へ

10年ほど前に長崎へブログのオフ会で出かけた。
九州は宮崎 鹿児島 福岡 長崎は訪れたが あと5県残っている。
四国は高知に近いから全て訪れたし 山陽山陰はほぼ回ったのに・・
広島にまだ行けていない。

長崎の平和記念式典に接していて小学生の合唱に心打たれた。
一生懸命にハーモニーを作る中に引っ張っていくいい声が
あって、それに皆が合わせようとする合唱はやはりこのハーモニーの
完成度の高さが聞く側に感動を作るのだと、かつて合唱に力を注いだ
ことがあったが今改めて思った。
ミサ曲も随分歌ったが、ラテン語の歌詞の意味までアナリーゼして
団員全員が理解できたときの演奏はかなり感動を与えたが上っ面で
綺麗な演奏だったと言われたときは感動まではいかなかったようだ。
今日の小学生たちは原爆の恐ろしさ、決して忘れずに記憶していかねばならない
戦争の悲劇をしっかりと知っているようだった。
長崎市長の言葉の中に「人はあまりにも苦しく辛いことはあまり言葉に
したくなく、重大な事象を封印してしまうことがある、」そこを皆で
語り継いでいかねばならないという。実に私は戦争の悲劇を知らない。
父が満州から命からがら帰国して、その後すぐに病身だったその母
(私の祖母)が日本の地で亡くなったこともよく聞いているが幼かった
父の弟を支えながら戦後を生き抜いたことを 母が女学校の疎開で獣道を
友達と歩いたという話を断片的に聞いてはいるが本当の恐怖や悲しみを
推し量るまでにはならなかった。
その人々が年を経ても決して忘れることはなく、さらに悲しみが深まっている
場合もあることを今日の原爆被災者の85歳の方の実話から感じた。

昭和一桁の人々が90歳近くなり、しっかりと生きているのはあの戦中戦後を
通り抜けてきたからなのだと改めて思わされた。

アナログで生きてきた人々がパソコンやケータイ電話まで使えるように
なったり、スーパーマーケットのキャッシャーが機械化されたり
父はその支払いに集中するあまり 買った品物を皆忘れてきて
店から連絡もらったりもした。

テレビが4Kになるという放送に うちのテレビは買い換えないと
いけないのか?と最近まで心配していた母・・
よくニュースを見ていて、時代の流れについて行こうと頑張っていた
二人を思いながら この戦後75年の時間の重さを感じた。

by akageno-ann | 2019-08-09 21:42 | エッセ- | Trackback | Comments(0)

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