インドへの郷愁と母への憧憬
コロナ禍にふと家で片付けや 思い出の整理をしていたら一番思い出すのは
デリー駐在時代の30年前のことでした。
インドに赴任することが決まった夜の、衝撃は人生の中で大きなものでしたが、
「そこでの経験は何物にも代えがたいもの」
と東南アジアに赴任された先輩たちに言われ、励まされての赴任でした。
一番腰を落ち着けて情報を集めてくれたのは当時50歳後半だった我が母でした。
インドは日本食はないようだから いろいろ船便で送った方がいいと 蒟蒻の素や納豆菌まで
集めてくれて・・その上 海苔や和菓子の落雁など郵送できるものをまめに送ってくれました。
3年目の正月には 伊勢丹からの航空便で ドライフーズのお節料理を送ってくれました。
びっくりしました・・かまぼこも数の子もドライでお湯で戻すのです。美味しかった・・
遠くインドに住む娘に対する思いが今突然甦ったのは 実家の片付けをしていたら
その時の伊勢丹の送り状が出てきたのです。値段も高かったです。
お世話になっている施設のリモート電話で今度この話をしようと思います。
母は60代半ばには妹の子供の世話をよくしていました。
それと共に友人と編み物を猛烈にしていました。
二週間ごとに訪れると父のベスト 孫のセーターと作品はどんどんできていました。
私の友人のお子さんのカーディガンまで編んでいたのを思い出します。
友人が丁寧なお礼状とお子さんにそれを着せた写真を送ってくださってました。
そういうものも大切にしまってある母です。
そんな風に家族にも守られて渡った国インドは第一日目から驚きは大きかったのですが、
生活自体は決して悲惨なものではありませんでした。
デリーの懐は広く大きく、異国の新参者を自然に受け入れてくれました。
旅行者ではなく、住宅街に住むこのうら若い日本人をさりげなく支えてくれていました。
戻ってすぐに懐かしくて戻りたくなったという気持ちも本当です。
しかし、酷暑といわれる夏のデリーの暮らしは確かに大変でした。
日本食を求めて国外に出ることも必要でした。
現在のインドはIT産業が盛んで、ずい分と近代化された国に評されますが、
あの貧困の中にも必死で働く人々はおそらくそのままに 国は富んでいるのだと想像します。
新しい車社会でもありながら、牛車もオート三輪のリキシャも、
のんびり歩く牛もそのまま存在するのです。きっと・・
その厳しい日常の中で、日本人駐在員の家族たちは明るく愉しく暮らそうと努力していました。
子供たちは日本人学校などで暑さと戦いながらもしっかりスポーツに学習に取り組みました。
その中の一人は今教師をしていらして、時々送ってくださるラインに頑張っている姿がわかり
可愛らしかったデリー時代を重ねて心が熱くなることがあります。
コロナ禍に変化する生活環境の中で、あのインド生活が 今を生きようとする
源となってくれていることに気付きました。
日本の高齢化社会に直面して、介護することも、あのときのデリーでのサーバントたちとの
暮らしが生きていると、感じることもあります。
デリーでともに頑張りながら、帰国して既に別の世界に旅立たれた人々もあります。
その人々との思い出は、また残された者の中にしっかりと息づいています。
この小説は「赤毛のアン」を愛した、二人の日本人女性の友情を元に
デリーの生活を掘り起こそうとするものです。
インドの情報、インド人の生き方を深く感じ取った今、
日本人が忘れかけている大切な生きる力を取り戻したいと願っています。
異国にいて初めて知る日本人としての自分、日本のあり方を考え続けています。
下の写真はデリーの街中でライム水を売る男と、壜に入ったメダカを売ろうとしている
男の様子を偶然主人が捉えました。
不思議な状況が多々ある中でインド人の逞しさも感じられます。
小説「アンのように生きる インドにて」幻冬舎M/C刊を どうぞ読んでみてください。→
by akageno-ann | 2021-02-05 21:41 | エッセ- | Trackback | Comments(2)
Commented
at 2021-02-07 21:58
x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
akageno-ann at 2021-02-07 22:27
のらぼうさま
大変お忙しい中に「アンのように生きるインドにて」を
お読み戴き それだけでも有り難いのに丁寧な感想を
本当にありがとうございました。
30年過ぎて全てデフォルメすることができて自分も懐かしく楽しく作品を仕上げることができました。
私の師匠の一人はこの「赤毛のアン」の翻訳者村岡花子氏だと思います。デリーには魅力ある日本人もインド人もたくさんいらしてそして日本ではない日常がたくさんありました。
そのことを理解して戴きまして心から感謝します。
大変お忙しい中に「アンのように生きるインドにて」を
お読み戴き それだけでも有り難いのに丁寧な感想を
本当にありがとうございました。
30年過ぎて全てデフォルメすることができて自分も懐かしく楽しく作品を仕上げることができました。
私の師匠の一人はこの「赤毛のアン」の翻訳者村岡花子氏だと思います。デリーには魅力ある日本人もインド人もたくさんいらしてそして日本ではない日常がたくさんありました。
そのことを理解して戴きまして心から感謝します。
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