昨晩11時8分の 携帯の緊急速報エリアメールからすぐの横揺れの長い地震ここ埼玉西部もあの2011年3,11を思い出すような揺れでした。つけていたテレビで福島や仙台の放送局の内部のパソコンが何台も落ちたり心配ですぐに靴下をはきドアを開けて様子をみました。このブログをアップしようか?と老育の記事を書いていたのですが、ふと昨年の今頃のことが甦りました。コロナウイルスが日本の豪華客船の中で蔓延か?というニュースに私はとても嫌な予感がしました。これまでのいろいろなウイルスは水際でかなり厳重に対処してきた日本 サリンの事件も封じ込めてきたのでは・・と思っていました。しかしなんだかこれは違うという不安は高齢者の家族を何人も気にしていたのでまたご近所の方たちの中にもご高齢の方が増えていてすごく心配でした。なので「大丈夫だよ」という漠然とした意見は安心できずお楽しみの会合をすぐに辞めた方が・・と意見してしまった自分がいました。その気持ちは今も変わりません。昨日はちょうど父のお世話になっている施設から父の元気な様子の写真をいただいて感謝していたときで、まずそういう施設のことが気になりました。同時に故郷高知の人々が心配しているはずなのですぐに「こちらは揺れだけです」とlineの繋がる従弟妹に送りました。わかったのはすぐに通じたのは最初の一通でそのあとは時間をかけての送信になったようです。東日本大震災の時を思い出したのです。あの日もちょうどコーラスの仲間が我が家に8人ほど先輩主婦がいらして皆でそれぞれに電話しても繋がらず最初のメールが頼りだったことを思い出しました。実家に通じたのも夕方遅くでした。あの頃両親は元気でしたので安心でしたが、出かけていたら大変と心配しました。すっかりあの日を思い出しました。仙台の方では車がたくさん出ていて皆さんすぐにガソリンスタンドに走っていると知りました。そうです。私たち関東の者もしばらくガソリンや灯油に不自由しました。忘れてはいけないあの日のことをもう一度思い起こし 暖房の消火 懐中電灯の確認 ご飯を炊くこと風呂の水を入れることなどやれることをしました。
この辺は活断層が違うようで地盤も固い感じがしますが安心はできません。
ご近所とも一緒に備えを見直さないといけないと切に思いました。
被災された方々 どうかお大事になさってください。
日本は今一体になって動いていかねばならないのだと思いますし、
先ず身近からですね。昨日は主人と早朝に氏神様に参拝しました。
あなたの見つけた冬景色