老育18 命日
昨日5月15日は私の従弟の15年目の命日だった。神道は五年ごとに年忌祭を行う。
先月の高知で墓参りはさせてもらったのでこちらで思いを馳せた。
15年前44才だった従弟は癌を患いあっという間に旅立った。
しかしその亡くなる一ヶ月前から各方面に遺される者のために全力を尽くして
逝った人である。
私にはその前年に脳内出血で倒れた私の従妹で彼の実の姉を
「どうかよろしくお願いします」と言い残した。私はそのとき彼がそれから
一ヶ月で亡くなるなど思いも寄らなかった。
しかし親族の計らいで私の傍で療養していた車椅子の従妹と二人で
故郷に帰ることが出来た。5月13日のことだ。すぐに彼の病院に行って
二人で見舞った。確かに私たちは数ヶ月ぶりであったので痩せた彼の病状を
推し量った。同行した姉はそれでも笑顔で弟の足をマッサージして
『姉貴ありがとう。とても効くよ』としっかり答え2時間ほど滞在した
彼女も長い滞在をさせるには病状に心配があったので、翌日の午前中に
特別にもう一度会わせてもらって帰京した。
14日に羽田から滞在先まで親切なタクシーの運転手さんに車椅子から従妹を座席に
乗せていただいて到着した時に二万円ほどだった運賃を障害者割引をしてくださり
「とても良い帰郷だったね」と従妹と話していた。
翌日15日夕方 私は2階の部屋の電灯をつけたら電球が切れた。同時に
携帯に叔母から電話が入った。泣き声で『今亡くなったの。』と・・
私はその場にうずくまり立てなくなった。
思ってはいけないと思っても彼は生きていたら来年は還暦だった・・とか親族で思い続ける
誰もが慕っていた彼を失った喪失感は変わらず痛手は治ることはない。
それはそれでいいのだとこの頃思うようになっている。
彼だったらどうアドバイスしてくれるか?と問いかけることは同じなのだ。
その問いかけが単なる自問自答にならないから有り難い。
落ち着かせることもある。『可愛いねえ』と発することで自分を
落ち着かせていることもある。従姉弟の叔父が先月亡くなり余計に
猫に思いを重ねることがある。人はいつどういう運命になるかわからない、と
50才の時に痛感した。親よりも先に逝くことのないように、と思っている。
朝起きて不調な日は静かに深呼吸して前夜の食事や運動不足など反省してみて
単調にでもしっかりと生きていけるように、心を整えるようにしている。
by akageno-ann | 2021-05-16 11:52 | 老育