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池袋の事件に思いを馳せる

2019年4月のその日は我が父が豊島区近くの病院に入院していたので
その見舞いの帰りに池袋の西武デパートに寄って買い物をしていました。
夕方のニュースでその痛ましい交通死亡事故を知ってその時刻、自分は
西武池袋線の改札口にいた頃だとわかりました。
救急車やパトカーのサイレンは都心にいるとよく聞くのでその時も
まさかそのような大事故だったとは思いもしなかったのです。
この事故について幼いお嬢さんと奥様を亡くされた松永さんのことを
思うといたたまれない思いがずっとしています。
あれから丸2年以上が経っていますが、私などは両親の病気とコロナ禍を
心配するだけの暮らしですが、それでも何か不安でいっぱいです。
その同じ時間を松永さんはただ悲しむというだけの時間でなく、
どれほどの辛い、空しい、憤れるなど表現できない思いをマスコミを
通して我々にしっかりと伝えてくださったか、と本日改めて思いました。
この事件には大きな日本のこれからの問題をはらんでいると思います。
先ずは自分も含めて高齢になって、車の運転をいつ辞めるか、ということ。
また高齢や病気の家族をどのように見守るか、の問題です。

私の父はその2019年の3月に脳内出血で倒れました。
その前、半年ぐらいが父と私の一番辛い時期で言い争いが何度かありました。
父がタバコを吸うのをやめず、正月くらいからいつも玄関先の決まった
ところで吸っていたのに居間でも吸うようになり畳に小さくですが、
焼け焦げを作ったことがありました。
「危ないから決まったところだけにしてください。」と頼んでも
聞き入れず、その頃からとても頑固になっていったのです。
もともと安全にはものすごく注意する人で火の元 戸締まりなど
きちんとする人でしたが、とても危険を感じるようになり、夫に理解を得て
毎日実家に寝泊まりするようにしていました。
母の足が弱ったのでケアマネージャーさんが来て下さっていたので
父のその頑固さも年のせいか?と不安で相談しましたら
「お父様は大丈夫です。問題ないです。」ときっぱりいうのですが
私は不安で自費で頼めるヘルパーの方を探して日中三時間ほど
来て頂きその間 少し自宅に戻るという暮らしをしていました。
かなり辛かったのですが、それでも父の変化が気になりました。
結果そのヘルパーの方に助言して頂いて父が少しずつ認知症が始まって
いることを感じ、認定を受けることになった矢先に父が倒れ、しかも
ヘルパーさんが発見して下さったのです。
幸い軽症でしたのでその後リハビリで日常に戻れそうになりました。
しかし父が急に自分に不安を感じてくれて施設での生活を選んでくれたのです。
88才になったばかりでした。
元気そうにいた父なのに、突然頑固になったり、どこか体や脳に異変が
起こることもある、と私と妹は思い知りました。
しかし家族はそれまで家長で君臨していてくれた父になかなか意見できず
口うるさくなった娘の私を鬱陶しく思う父との葛藤があったのです。
父は元々運転をしない人でしたのでその心配はなかったので、
妹と運転免許を持っていなかった父のことを安堵したのでした。
それぞれのご家庭の事情は違って、言い切ることはできませんが、家族が少しでも
不安に思うことがあったら外部に相談したり助言したりしてもらうことが
大切だと思います。そのことはゆくゆく自分の老いにも関連していくことで
今日はどうしても自分の中にあるこれからの高齢化社会の問題として
この記事を取り上げさせていただきました。
そして松永さんの奥様とお嬢様のご冥福をここでお祈りし、松永さんと
そのご遺族皆様に心の平安の訪れることを心より願うばかりです。


by akageno-ann | 2021-09-02 22:14 | 老育 | Trackback