
にほんブログ村雨が降りしきる夜中にふと目覚めてテレビをつけるとウイーンの街角が映像に流れ「もう私は外国へ気楽に行けないのだな」と思うことがあります。若い人たちに気楽に行ってほしいな、と思うのでこの世界情勢のよくなることを祈るばかりです。今の円安も厳しいです。
今から30年前は家族も皆なんとか元気で、介護という言葉も私の中にはありませんでした。デリーに高齢のお母様を一緒に連れて赴任されているご家族があって、一緒にヨガの教室に通われていたのですがヨガのシャーマ先生が本当に優しくて愉しく参加されていました。
病気になった方も子育て中の方もサーバントというインド人のお手伝いを雇うことで、今思うと本当に助けられました。
かつて日本でも家政婦さんという方がいらして病弱だった私の母も随分助けてもらいました。今も家政婦さんはいますが30年前くらいのときはもっと気楽に頼めていたように思います。
舅も何度か大きな手術をしましたが、夜中は病院でこの家政婦さんを雇うことが出来て助けられました。
NHKBSテレビの映像からウイーンの路面電車と博物館の階段
小説は2008年にこのブログを小説ブログとして立ち上げたとき
1年を通して少しずつ載せていき、いただくコメントにて愉しいやりとりがありました。
その頃のコメントも今も保存できているのがブログの楽しいところです。
そのコメントによって内容も膨らみ旅や恋愛などで色づけて行くことが
できました。あの頃は若く元気で夜中までブログと小説の両方を書いて
いましたが、最近はコメントをいただいて丁寧に返信ができなく
なったことに年齢を感じ、コメント欄失礼しています。

今夏のようなインド並みの夏を体験していますとあの本に描いたデリーのインド人の暮らしは忠実に書いたつもりですので、もしも読んで頂けたらインド人の暮らし方に生活力の強さを感じて頂けると思います。
この本を出せたことには夫の強力な後押しと出版社の細やかな編集者のお陰です。
私の拙い小説「アンのように生きるインドにて」を
お読みいただいた方から感想をいただくと本当に嬉しくいつかまたこの続き「日本にて」をまとめたいと思っています。
少し娯楽小説になってしまって、インド色が薄まってしまった感があるようで友人たちの中には私小説のように思われて呆れられることもあります。
デリーでの暮らしは忠実に書きましたが主人公美沙と怜子は私の憧れの方たちをモデルにした創作です。
ピアノ伴奏を気楽にしてくださる商社夫人や大使館夫人がいらして、ご家庭で行うもてなしやボランティアなどあのデリーの暑さの中でもそつなくこなしていらっしゃった方たちがありました。
あの暑さの中でインド人のお手伝いを受けてまた人々と助け合って頑張って暮らしました。
真夏は停電が突然起り、大抵は1~2時間で済むので家に居る者は冷蔵庫は開けず、日本から持って行った団扇がとても役立ちましたがジッとしていることが大切でした。長時間になると停電していない友人宅の冷凍庫を間借りしました。
小説を書くというのは愉しくて、最近のコロナ禍、いつ何がおこるかわからない、という日々細やかな経験の中から「あの時は、こうであったら・・・このようにしていたら」と、いう思いで書いています。
インドは13億を超える人口ですからどうしても格差はあります。そういう中に淡々と生きて行く人々の姿は祈りによって支えられている場面もありました。自然の中でも「暑い」という言葉を殆ど発せず、当たり前のように過ごしている姿も今懐かしく思い出しています。
お読みいただきありがとうございます。
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