終戦記念日に寄せてⅡ
ウコンの仲間のクルクマの花も大きくなってます
今日は菩提寺の盆供養で、午後はちょっと伺います。
皆が願うのは平穏無事です。
7年前に亡くなった義父は書家だったので、その前年まで
本堂にて檀家さんの盆供養の卒塔婆を書く手伝いを
していました。書いているときは無心だと話していました。
今朝のEテレで画家堀文子さんの生前2017年のお話を
聞きました。その中で「戦争は絶対に反対」という
意識をしっかりもたれ100才まで「美を追究」して
生きてこられた姿に感動しました。
もうすぐ開花です。
台風の影響も受けず元気でした。
私の父は昭和21年の6月に日本への引き揚げ船で家族4人で
旧満州から帰国しました。
死を覚悟した母露子が「帰りたい」と切望したそうです。
そのお陰で私はいまここに存在しているのだと思います。
しかしその帰国の途は大変困難を極め、16才の父と9才の弟は
やっと辿り着いた舞鶴港から2人だけで高知県の今の仁淀川町
まで帰らなくてはならなかったのです。
赤十字の病院に搬送されるほど母露子は引き揚げ船の中で病状が
悪化したそうです。
それでも出逢う人々の親切のお陰で高知駅に辿り着き、そこから
国道を走るバスに乗り換えて2人で立ったまま不安な想いで
いたそうです。しっかり手をつないで。
私が今レンタカーで舗装され整備された国道33号線を走って
寺村の細いトンネルを通るときは必ずその父の思い出の言葉を
思い出すのです。
不安なままの2人の少年はそこで向かいから走ってくるトラックの
パッシングによってバスが止まり、そこからころげるように降りてきた
祖母たちと遭遇できたのです。
父の父が舞鶴から電報を出していたようで、奇跡の出逢いだったと
私の父は涙を隠さず話してくれました。
by akageno-ann | 2022-08-14 07:57 | 災害 | Comments(0)