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終戦記念日に寄せてⅡ

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埼玉の台風の被害は少なく、花壇など水がペールに
いっぱいになったことをありがたく思いながら水害に
遭われた地域に想いを馳せます。

まだ降り続く様子を映像で見て、雨後の晴天による
暑さを心配します。


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ウコンの仲間のクルクマの花も大きくなってます

今日は菩提寺の盆供養で、午後はちょっと伺います。
皆が願うのは平穏無事です。

7年前に亡くなった義父は書家だったので、その前年まで
本堂にて檀家さんの盆供養の卒塔婆を書く手伝いを
していました。書いているときは無心だと話していました。

今朝のEテレで画家堀文子さんの生前2017年のお話を
聞きました。その中で「戦争は絶対に反対」という
意識をしっかりもたれ100才まで「美を追究」して
生きてこられた姿に感動しました。

終戦記念日に寄せてⅡ_c0155326_07592026.jpg


道ばたのアサガオも元気に咲いてくれています。
クルクマの白い花も咲き始めました。

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いただいたチューベローズの花も
もうすぐ開花です。

台風の影響も受けず元気でした。


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私の父は昭和21年の6月に日本への引き揚げ船で家族4人で
旧満州から帰国しました。
死を覚悟した母露子が「帰りたい」と切望したそうです。
そのお陰で私はいまここに存在しているのだと思います。

しかしその帰国の途は大変困難を極め、16才の父と9才の弟は
やっと辿り着いた舞鶴港から2人だけで高知県の今の仁淀川町
まで帰らなくてはならなかったのです。
赤十字の病院に搬送されるほど母露子は引き揚げ船の中で病状が
悪化したそうです。

それでも出逢う人々の親切のお陰で高知駅に辿り着き、そこから
国道を走るバスに乗り換えて2人で立ったまま不安な想いで
いたそうです。しっかり手をつないで。

私が今レンタカーで舗装され整備された国道33号線を走って
寺村の細いトンネルを通るときは必ずその父の思い出の言葉を
思い出すのです。

不安なままの2人の少年はそこで向かいから走ってくるトラックの
パッシングによってバスが止まり、そこからころげるように降りてきた
祖母たちと遭遇できたのです。

父の父が舞鶴から電報を出していたようで、奇跡の出逢いだったと
私の父は涙を隠さず話してくれました。



by akageno-ann | 2022-08-14 07:57 | 災害 | Comments(0)

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