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時化(しけ)の夜

逝きしより時化のつのりて行く夕べ 

父の作句の中でこの台風の時期になると必ず思い出す一句です。
父の母、つまり私が会えなかった祖母41才の最期を看取った父が後年になって
作った一句。

戦後満州から命からがら日本の本土にもどってからすぐのことだったそうです。

それから半世紀を過ぎた同じ夏の台風の近づく夜、私と父は東京の病院にいました。

その日の夕食後洗い物をしていると
「ママをたすけて」と叫びのような電話が携帯に入り、従妹が突然倒れて
救急車をよんだところだ、という従妹の高校生の娘からの電話でした。

幸いにも当時の東京の国立第一病院に搬送されることになり、私も主人に最寄り駅まで
送ってもらって駆けつけます。
都心に住んでいる両親に連絡して先にその病院に行ってもらうことにしました。

何が何だかわからなかったのは、親族中で一番元気いっぱいの従妹が倒れたというのが
信じられなかったのです。心臓発作かと思いました。

あの日の電車はじっと座っていられなくて池袋に着くまでに最後尾から先頭車両まで
移動してました。駅前からタクシーで急ぎ病院に向かいました。

病院では先にいてくれた母が傍にきて、「くも膜下かもしれないのよ」と
悲痛な顔をしていました。

脳内出血だったのです。

幸いだったのは脳外科の医師がいてくださり、検査した結果くも膜下ではなく
脳内の細い血管が切れたということで手術可能ということが判明

22時過ぎに手術室に入りました。

そこで母には帰ってもらい、従妹の娘と 父と私の三人で家族の待合室で
待つことになりました。父は既に75でしたがこういうときに非常に頼りに
なる人で、ソファに横たわりながら本を読んでいました。

その姿に高校生の娘も私も気持ちが落ち着きました。

「ママは絶対に死なん・・・」と娘は土佐弁で信じて祈っているので
私も彼女の無事を確信していました。

23時に手術が開始され無事終わったと看護士さんが知らせてくださったのが
明け方の4時でした。

三人で手を合わせました。
それがその年の8月31日で、おりから台風の影響で病院の外は風雨強まっていく
夜でした。

それから18年ほど経過した今、彼女は半身に麻痺は残ったものの私の近くの施設で
元気でいます。このコロナ禍にもめげずに頑張ってリハビリを続けています。

メールとリモート面会だけの今ですが、近くにいてくれて、若いスタッフさんたちと
新しい人生を切り開いています。

あの夏の夜、若い名医に救っていただいた命を大切にしているのです。

父はこのときのことを自分の母の病床に付き添っていた戦後の夏の夜と重ね合わせて
ずっと姪の手術の成功することを祈っていてくれました。
後に俳句にしていましたが私はその俳句を書いたノートを失してしまっています。

父は「家族中で一番元気でみんなの健康を気遣っている彼女だ、大丈夫だよ」と言って。

彼女は鍼灸師の資格をもって、漢方の薬局に勤めていました。
肩が痛い、目が疲れる、お腹の調子が・・・と私たちは彼女に頼っていました。

台風など低気圧が近づいているときは古傷が痛んだり、身体の弱いところにちょっと
変化がでることがある、と、これも私が乳がんの疑いでしこりを採った痕が痛いと
話した時に従妹が言ってくれた言葉です。

少ない親族で寄り添って暮らす我が一族です。
今年は母があちらに逝ってしまいましたが、見守ってくれていると信じています。

時化の近づくときはいつも以上に家族に体調などに気をつけて過ごしてもらいたくて、
眠れない夜中に書かせていただきました。
時化と台風と低気圧はニュアンスが異なりますがお許しいただきます。

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読んでいただきありがとうございます。どうかご自愛下さい。



by akageno-ann | 2022-09-01 03:40 | 老育