ホウチャクソウ 「らんまん」に寄せる思い


土佐弁が心地よくて小さい頃を思い出します。
ひいばあちゃんがとってもすごい人でした。
私が物心ついた頃はもう60才頃ですが
とても老成していました。
真夜中2時頃に父とバスで帰省した日チー子という犬と
ひいばあかんが「もんたもんた(帰った、帰った)」と
真っ先に家の雨戸を開けてくれたのもこの人でした。
その三月末の帰省は土讃線が途中土砂崩れしたということで
高松から予讃線に乗り換え時間をかけて愛媛松山に廻りました。
小学校二年生だったと思いますが、初めての父と二人の旅に
西武池袋線江古田駅のホームまで送ってくれた母の
顔が暗い車窓に映るような気がしました。
昭和37年母のお腹には妹がいたのです。
当時は松山駅と高知駅間を国鉄バスが国道33号線を
一時間に一本走っていたので大変便利でした。
当時国鉄と言われた時代は列車の遅れなどに対して
乗り継ぎのバスなども夜中まで走らせていてくれたのでした。
by akageno-ann | 2023-04-18 08:40 | エッセ- | Trackback