台風6号 7号は本当に日本人の心を揺れさせたと思います。
私も高知に帰る日を決めかね、親族と連絡を取り合っていました。山の家のある国道33号線は早々に通行止めになっていました。
それこそ牧野富太郎氏の生家のある佐川町もかなり降ったそうです。
この台風で最初は関東地方に直撃と思われました。
強くて速度の速いこの台風が関西 山陰の方に大きな被害をもたらしていることにも
今はいつどこでどのようなことが起るか緊張感と覚悟を持っていたいと思います。
以前、新幹線に乗ってから少しも進まなかった経験もあり、飛行場で4時間待ったことなど思い出します。
基本はじたばたせず、との心情ですが心では大きな葛藤があります。
今回の大坂、京都 東京の混雑の状況下をテレビで見ていて、他人事でなく秋に向かいまだまだ台風は発生するであろう、と 不安になります。
取りあえず、水と保存食、懐中電灯etc準備し、親族とも話し合っています。
方や埼玉は久しぶりの大雨で草花たちが生き返っています。枯れてしまいそうな木々もあり、皆で心配しています。
オシロイバナが三色でみごとに咲き乱れています。ハイキングロードの入り口です。
親族が高知に来るなら牧野富太郎ゆかりのツアーがある、と知らせてくれました。
秋に父の墓参りをしてくださるという友人があってご案内したいと話していたからです。
しかしこのような災害の多い時代友人を気楽に誘致するのが心配で、来春にしました。
あまり時間をおくと、私の運転も自信がなくなるとも考えてます。
健康診断のことは次回に
昨日からの続きです。
「むこのきみに むすめあづけてうらやすし わが名をとりておひいでしこを 信夫」
と、母が結婚した昭和28年の1月に 祖母はずっと見守ってくださっていた
折口先生に婚礼の写真を送ったのだった。
その婚礼の写真には先に逝った夫杉本建夫の遺影と折口先生の書が床の間に
飾ってあって、そのことを先生は大変喜んでくださったそうだ。
そんな逸話を80才に近くなって祖母は私たち孫に懐かしそうに語ってくれていた。
私たちの故郷は土佐の高知で戦中にも折口先生は祖父母を尋ねてくださったことも
あったと聞いている。
祖母の作る田舎の料理を大層気に入られて
「うみのさちおほかりし夜に やまさちのきのこたきあへ たのしばいかに」
とのお歌も祖父に書き残してくださったという。
祖母の料理上手はそのような光栄なできごとがあったからだ、と私たちは
有り難く、誇りに思っている。
つづく