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濱田庄司参考館にて


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木曜日の益子は休業日のお店が多かったのですが
かえって人も少なく、気楽な散策になりました。

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この益子焼きを広めたのは大正時代に移住されてきた
濱田庄司氏とその友人たちだと聞きました。

地域の発展は名工がいて俊才が集まって
広く一般の人々に広めようとする真摯な気持ちが
ここまで益子を有名にしたのだと知りました。


濱田氏の古今東西の手工芸品 美術品を集め
展示されていて、大変楽しみました。


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ゆったり旅していると友人と昔の旅を
思いだし、尽きない会話になりました。

『こんなにおしゃべりしたのは久しぶり』
と、言いながら。



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この轆轤のある作業場と 登り窯は
東日本大震災時に倒壊し、義援金を募って
見事復興させた、とのこと。

常に益子の芸術を先に繋げようとする
意欲を感じました。


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今から50年前にYちゃんと私は雑誌アンアンの
懸賞企画で優待というのにYちゃんが当たって
一緒に1週間のローマ パリのツアーに
参加したのでした。

以前記事にさせてもらいましたが、その旅で
行きのエールフランス機の機内食で食中毒が
出て、ローマの空港で足止め!ツアー解体になった
記憶がまた、甦ったのでした。

現代だったら日本でも新聞沙汰だったかもしれません。


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パリ郊外プチトリアノンにて 21才のYちゃんと私






あの頃は、日本まではニュースが届かず
親を心配させなくてすみました。(^_-)
ローマの新聞には載ったそうですが。

サルモネラ菌が原因とあとでわかったのですが
無知な私は『機内食のスモークサーモン?』なんて
言ってましたが 発熱に下痢と大変な症状の人も
何人かいたようでした。

羽田出発の時は雨で ワクワク感だけの私たち
機内食も嬉しくて完食してました。
ローマ観光が最初でしたのでバチカン市国を
見学した辺りから具合の悪い人が出てきたようでした。

ローマは一泊だけで、いよいよパリへの
レオナルド ダ ヴィンチ空港にて一人ずつ
救急車で消えて行くのです。不安でしたが

あの頃は全員を隔離する話にならなかったのは
ラッキーだったと二人で改めて思いました。

『兎に角 パリが目的地だったものね、私たち』
と、Yちゃんも私も日本からもって行ったビオフェルミンや
正露丸で頑張ってました。

そして父から日頃言われていた『体力温存の為には消化の
良い物を食べること』を守りました。

なのでパリでは日本食レストランで『お粥と白身の魚と
茶碗蒸し』でフレンチを楽しまなかったね、と。

しかしあの時の日本からの若い添乗員二人の方は
とても一生懸命手配してくださって、最終日に皆
パリで集まれて殆ど一緒でなかったのにすっかり
仲良しになったのでした。

二人で懐かしみました。
エールフランス社はしっかりもう一度同じ旅をと
連絡がきましたが、私たちは就職の時期になり
残念でした。
あまり大騒ぎにならず、良い時代だったと思います。






by akageno-ann | 2023-10-07 18:44 | エッセ- | Trackback