濱田庄司参考館にて
あの頃は、日本まではニュースが届かず
親を心配させなくてすみました。(^_-)
ローマの新聞には載ったそうですが。
サルモネラ菌が原因とあとでわかったのですが
無知な私は『機内食のスモークサーモン?』なんて
言ってましたが 発熱に下痢と大変な症状の人も
何人かいたようでした。
羽田出発の時は雨で ワクワク感だけの私たち
機内食も嬉しくて完食してました。
ローマ観光が最初でしたのでバチカン市国を
見学した辺りから具合の悪い人が出てきたようでした。
ローマは一泊だけで、いよいよパリへの
レオナルド ダ ヴィンチ空港にて一人ずつ
救急車で消えて行くのです。不安でしたが
あの頃は全員を隔離する話にならなかったのは
ラッキーだったと二人で改めて思いました。
『兎に角 パリが目的地だったものね、私たち』
と、Yちゃんも私も日本からもって行ったビオフェルミンや
正露丸で頑張ってました。
そして父から日頃言われていた『体力温存の為には消化の
良い物を食べること』を守りました。
なのでパリでは日本食レストランで『お粥と白身の魚と
茶碗蒸し』でフレンチを楽しまなかったね、と。
しかしあの時の日本からの若い添乗員二人の方は
とても一生懸命手配してくださって、最終日に皆
パリで集まれて殆ど一緒でなかったのにすっかり
仲良しになったのでした。
二人で懐かしみました。
エールフランス社はしっかりもう一度同じ旅をと
連絡がきましたが、私たちは就職の時期になり
残念でした。
あまり大騒ぎにならず、良い時代だったと思います。
by akageno-ann | 2023-10-07 18:44 | エッセ- | Trackback