菩提寺と墓所
それがどういう意味だったのか深く考えも
しなかったが、その同じ人が
『お宅はお墓が近くて良いわねえ』という年齢になった。
そう、そして昨年の今日亡くなった友人の墓もそこにある。
この住宅地では菩提寺が同じ方がかなりいる。
今日は従妹の滞在する施設で面接があり
地域の方たちがかなり年をとられお一人で
頑張っている様子を話し合った。
自分たちも老いていく先を考えながら
ここで暮らした義父の様子を
良い見本と感じることが増えた。
ここで45年を過ごした。
コロナがなければもっと活発に
暮らしていたかもしれないが、それは
結果論。コロナによって生活が大きく変化したと
言う人はかなりいる。
秋には必ずといっていいほど会食に
青梅や五日市に出かけていた。
気に入っていた青梅の井仲居という割烹料理の
店もなくなってしまった。
入間市内の手作りの洋菓子店も最近店を
閉じたと、近隣の人たちが残念がっていた。
友人も早めに運転をやめて、そしてコロナ禍になって
外出が減ったことで気持ちが内向きになっていた、と
ご家族は話す。
孫に会う回数が減ったことも要因の一つだったと。
この菩提寺を選んだのは亡き義母でした。
きちんとした人だったのだなあ、と
改めて思います。
体調が少し悪いのを自身で感じていたのでしょう。
検査入院に入るという1週間前に私に会いたい、と
のことで会いに行きました。
マカロニグラタンと ワカサギのフライをご馳走に
なりました。揚げ物の上手な人でした。
「また遊びに来てね」と言われて、
1週間後伺ったのは義母の葬儀でした。
検査入院中に心筋梗塞で亡くなってしまいました。
55才のその母の年を超えてもう15年
11月の命日を前に精一杯生きられたその人を
偲びます。
義母は墓ができて2ヶ月後にそこに眠りました。
by akageno-ann | 2023-10-13 14:19 | エッセ- | Trackback