茶屋の歴史
この頃は前国鉄バス JRバスの休憩地で
一時間に上下線で二本到着で賑わっていました。
この向かい側に藤棚があり、そこでも
トコロテンやソーメンを提供していました。
バスも20分ほど休憩していました。
古い引地橋が新橋に掛け替えられ、
同時に店の移転も余儀なくされたのです。
昭和50年には大きな2階建ての店となり
古い店舗兼家屋は家族の家だけに
なりました。
従業員の方も増えて大忙しの親族一家でした。
それから平成になると高知高速道路ができ
この国道33号線は観光バスが減り
またJRバスも廃止になったのです。
私たちはとても不便になり、店も静かに
なってしまいました。
昭和40年代までは引地茶屋は藤棚でソーメンとトコロテンを
食べる人たちが多くて夏休みには小学生だった私も
トコロテンつきをさせてもらって、楽しくバスの運転手さんや
ガイドさんたちに可愛がってもらいました。
そんな頃 女流作家宮尾登美子さんがいらしてその藤棚を
とても喜ばれたらしいのですが、後年食品衛生上藤棚の
下での食事はできなくなり、普通のビルの店になったのです。
宮尾さんのエッセーの中にそれをとても残念がられる作品が
ありました。
父もとても惜しがりましたが時代の変化は峠の茶屋はドライブイン
として変遷していったのです。
茶店の大叔父大叔母の時代から父のいとこたちが
頑張って引き継いでくれているこの時代を私も
少しでも手伝っていけたら、と思っています。
今は高知の親族や近所の人々が手伝いに来てくださり
皆元気で張り切ってくれています。
私の祖父母はこの隣に住まい、亡くなるその日まで
みんなに支えていただいてました。
この店の歴史がそろそろ100年を超えています。
by akageno-ann | 2023-11-04 19:49 | エッセ- | Trackback