あつ姫とインド

久しぶりにBSテレ東で寅さんを見ました。『寅次郎 サラダ記念日』
俵万智さんのベストセラーをテーマにしていて笑いもありなぜか心が救われました。
☆☆☆☆
従妹あつ姫の物語させていただきます。
拝殿前での写真(叔母の撮影)
小学3年生の私と左が6才下のあつ姫右は4才下のはとこのみいちゃん
小さかったあつ姫は小学校高学年になるとスクスク伸びて160センチ祖母が心配するほどでした。
☆☆☆☆☆
一人旅の彼女はインドのバナラシ ガンジス川のほとりでベジタリアンに出逢いました。その後沢木耕太郎氏の『深夜特急』のような旅をして欧州に渡り
スイスでマクロビオティックの講習を受け、次第に玄米菜食の世界に引き込まれていったようです。
昭和60年代 旅では随分と親切な人々との出逢いがあったそう。携帯電話もなく、心配する親族をよそに本人には充実の1年半だったようです。

くったくなく溌剌としていた彼女は26才で日本に落ち着いて結婚しました。その時の赤い色直しのサリー姿は素敵で、高知の人々を吃驚させていました。
当時彼女は170センチ近くあり157センチだった私を見下ろすようでした。
その結婚式が12月だったのですがひと月もしない翌1月6日に私たち夫婦のニューデリー赴任が言い渡されたのでした。
思いがけないインドへの派遣に私はあつ姫に電話しました
『貴方がサリーなんか着るから、私はインドに行くことになったのよ』と恨みがましく言ったのでしょう。
彼女は電話の向こうで笑い転げているのです。
実に不思議なことでした。日本人学校の派遣先は当時は派遣される3ヶ月程前に発表されます。
主人が希望した派遣でしたから本人の覚悟は『何処の地へも』と覚悟できていますが、私はそうではありませんでした。
インドは私にとってあまりにも未知の国でした。ショックで風邪を引き込んだほどです。
しかし彼女の大らかな励ましにより次第に覚悟ができてきました。
『アンちゃん、大丈夫面白い国よ』と4月の出発の日に成田空港まで来てくれました。

長い手前勝手な話になってしまいました。
しかし人生は不可思議なことが起るもの、と、あれから35年経ったこの1月あの時の感情が甦ってきました。
あつ姫のサリー姿を見た翌年に自分がデリーでサリーを着ているなど想像もしていなかったが起りました。
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by akageno-ann
| 2024-01-20 22:31
| エッセ-
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