共有するということ
ダルビッシュ投手が日米通算200勝達成され
その2
父の病気を「脳梗塞」と説明すると 友達はほとんどその状況がわからないらしい。
私だって父の病状を目の当たりにしなければもちろん知らない病気だった。
でも母によればおじいちゃんも似たような病気で六十歳前半で亡くなったと聞いている。
お祖父ちゃんの病状をおばあちゃんは「脳卒中」だという。
脳卒中が脳内出血と脳梗塞に分かれるのだと、医師から説明を受けた。
おばあちゃんが泣きながら
『あの子は明るくて元気で理想的に生きてきたのです』と
医師に訴えていたことを夢の中のことのような感覚で覚えていた。
父は私からみると呑気な大らかさはあるけれど、結構神経質で暗い一面も持っていたと思っている。
理想的に生きるってどういう感じなんだろう。
おばあちゃんは、父の病気を他人に知らせるのをすごく嫌がっていた。
病気はそんなに恥ずかしいことなんだろうか。
私は仕事に没頭していた頃の父より今私との時間がいっぱいある父のことも大好きだ。
私の話をとてもよく聞いてくれるし、私が傍にいることを喜んでいる。
父は本当はとても寂しがりやなのだ、と今さら思う。
小さい頃からひとりっ子でおばあちゃんもずっと働いていて、
自分のことは自分でなんでもやれるようになっていたみたいだけど、
本当は家族と一緒の時間がもっとほしかったんじゃないのかって、気がする。
家族の誰かが病気になってみて、初めてわかることが意外に多いことも私は感じている。
そして私は父の病気は少しも恥ずかしくもないし、そんなに残念なことでもない。
病気になってからの二年の月日がそう思わせるのかもしれない。
そして父が少しずつ元気になっているからだと思う。
母はおばあちゃんに父のことでいろいろ言われると、頭が痛くなるらしいけれど、
最近は軽く受け流すことができるようになったみたいだ。
母が働くこともおばあちゃんは最初良い顔をしなかったけれど、学校の非常勤講師だと聞いてしぶしぶ納得した。
おばあちゃんも学校に勤めていたから、その方面の仕事と聞くと弱いらしい。
母もそのことはよく心得ている。
朝の早い私を駅まで車で送ってくれたあと、週三日、母は国語を教えに近くの中学校に行く。
その間、父は祖母と二人で過ごす。
祖母は最初、泣いてばかりいたらしいけれど、母と私がいたって元気で明るいので最近はやっと泣かなくなった。
「おばあちゃんに『泣かないで、』って言っちゃだめよ。哀しい気持ちは私たちの想像以上なんだから」
と母はいう。
息子である翔一郎の突然の病を一番悲しんでいるのは祖母なのだ。
この女三人と父との暮らしは少しだけ軌道に乗り始めたように思う。
つづく
by akageno-ann | 2024-05-21 12:01 | 小説 | Trackback