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とりあえずやってみる

年齢と共に億劫がることが増えているように思います
今朝も実家に泊まった帰りの電車でデビットカード引き落としの
メールが届き、身に覚えのない5900円

帰宅してからカード会社に電話するも相変わらずすぐには
繋がらず、待っている間にいろいろ調べるがやはりわからい。

13分ほどで繋がったので問い合わせるとアマゾンからとだけ
わかった。アマゾンでの買い物は内容がついてくるのに
今回のはない・・・なのでアマゾンのサイトで調べると
なんと年会費 値上がったのですね105.png

確認できたのでホッとしました。
でもアマゾンさん 年会費とメールにお知らせ
ほしかったです。
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NHKみんなのうた
♪「とりあえず、たまで」という
映像からいただいてます

会費はコストコなども値上がりで今は辞めています
いろいろ生活状況にあわせて考えていかねばなりません。

今 歩くことを億劫がらないようにしています。
最寄り駅からは上り坂20分の行程ですが
皆さんまめに歩かれるので私も今朝は歩きました
雨上がりで気持ちが良かったです

お時間ある方はmoreの小説を読んでみてください

第3話です  転載はご遠慮ください(_ _)  藤原沙也子

あまりに可愛いねこのアニメーションで
明け方4時に急いで写真撮りました
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その3

父は今、家で静かな毎日を過ごしている。

脳梗塞によって左半身の麻痺が未だに残り、思うように行動ができない。


五十五歳というまだまだ健康に働けるという年齢でこの状態を続ける

というのはどんなにか辛いことだろう・・・と親戚や近所の人々から言われてきたけれど、

どうも父はそれほどに感じていないように私は思う。


負けず嫌いで仕事は人一倍こなしたい方で、元気な時は朝早く出かけて帰りは大抵九時過ぎだった。

多分そのハードな仕事ぶりがこの病を発症したというのが大体の人の意見だった。


『先生ゆっくり休んでください。』

と生徒たちからの手紙も来るが黙って読んで返事もまだ書いていない。

父は筆まめな人なのに、手紙を書くことを今はすっかりやめている。


父は元公立小学校の教師だったが、四十五歳を過ぎた頃に国立の特別支援学校に転勤した。

以前から特別支援学校という様々な障害を持った生徒たちが通う学校に、深い関心を寄せる父だった。

公立の小学校でいろいろな問題を持った児童を担任しながら、父は脳に障害を負っていたり、

体に障害があったりして、思うように学習できないでいる子供たちを細やかに指導していた。

私にもよく、

『人間には様々な違いがあって、困難を克服しながら暮らしている人がたくさんいるんだよ』

と、そういう自分とは異なる人々とのふれあいを大切にするように言われてきた。


小さいときからいろいろな生徒さんが家にも遊びに来て、

いつも私は紹介されて一緒に遊んだりしていたから、私は人とのふれあいは

比較的スムーズに行えるように育っていたと思う。


あるとき親子三人でやってきた男の子は私と同い年くらいだった。

外国の車の名前ばかり何度も言っていて、他の事にはほとんど興味がないようだった。

だから私はそのご両親が父と話している間、彼と一緒に近所の車を見に散歩に出かけた。

近くの家の駐車場にある車の名前を殆ど言えるので、びっくりした。


「すごいね!」

と、私が感心するとすごく喜んで、ずっとそうやって遊んでいた。

私もその子と少し仲良くなったような気がして嬉しかったし、

その時父は私とその子の様子を見て、微笑んでいたことを思い出した。


またあるときは目の不自由な中学生と一緒に映画に行った。

父も一緒だが、父は一番前に席を取って、私と中学生を隣り合わせて

「この人は、この位置からなら少し見られるから、

何か映画のことで聞かれたら小さな声で説明してあげなさい」

と、言われて、周りを気にしながら彼女のわからないところを小声で説明した。


映画はミュージカル映画だったので英語の歌の好きだった彼女は楽しんでいた。

その日彼女はすごく喜んで、それ以来私の友達だ。

目が見えないのに、自分のやることをしっかりやっているという人で、

私は尊敬してしまっていた。


そんな父の教師としての仕事はここで終わってしまうのだろうか。

筆不精になった父は今のところ復帰する気配は全くない。

ただひたすらに無心に絵を描いている。

そしてそのイラストは動物ばかりだった。

私が学校から帰るのを待ちわびていて、すぐにその日描いた犬やネコやカエルなどの

イラストを見せてくれるのが日課だった。


だから私はそれを父の持っていたホームページにアップしてあげるようになっていたのだ。


                               つづく


by akageno-ann | 2024-05-22 13:38 | エッセ- | Trackback