紫陽花のある風景




第二章 その1
理子は感受性の強い子ではあったが、どこかのんびりと悠然とする面もあり、
あまり闘争心を持つほうではなかった。
そういう子供に育てたいと思っていたのは美沙だった。
理子の祖母である信子は一人っ子の理子をかなりスパルタで教育しようとしたが、
愛くるしい顔で『ばあば』と懐くので、結局かなり甘やかしてしまっていた。
しかし、美沙は出産後非常勤講師なども辞めて、理子を育てることに専念した。
姑である信子は彼女自身がかつて息子を保育園に預けながら教師を続けたので、
美沙のその姿勢にはちょっと納得がいかなかったのだが、
息子の翔一郎は美沙が家庭に入ることを望んだので、何も口は挟めなかった。
最近の保育園の教育はしっかりしていて、子供たちが幼稚園と変わらずに
育っている様子も知っていたので、美沙と二人で神経質に育てたくはなかった。
祖母である自分は外野に回らねばならないことも承知していた。
だが、理子は伸びやかな天性があり、そのまま素直に伸びていった。
ひとりっ子も多くなった昨今、それゆえの弊害が多くあるようではなかったし、
美沙たちの四十才に近い年齢になって授かった子の子育ては、
意外にも穏やかでゆったりとしていたようにみえた。
美沙はこの時を待っていたかのように、日常生活に焦りもなく、
理子が眠っている時は傍らで読書したり編み物したり、時には一緒に昼寝していた。
公園に出るようになってからは、近隣の自分よりも若い母親たちと盛んに交流し、
それまで信子に任せていた近所付き合いを一手に引き受けていた。
やはり子供がいるというのは、家庭が豊かになる。そう美沙は感じていた。
信子との嫁姑の関係も理子の存在があるだけで まったりとした空気に包まれていた。
理子はその二人の女性との日々の生活を 生まれでた時から自然に体得していることが
その後の暮らしに大きく影響するようだった。
一見理想的に営まれているような家庭生活でも、一つ大きな事件が
おこればどうしても様々な歪(ひずみ)が一時に噴出する。
特にしっかり者の理子の祖母信子は、一人息子で五十才までを比較的順調に
過ごしてきた翔一郎が脳卒中で倒れ、一瞬のうちにそれまでの生活が奪われたことを
簡単には心の中に取り込むことができなかった。
理子は多感なティーンエイジャーになっていたが、祖母の悲しみを誰よりも理解できた。
母親の美沙は、理子を妊娠当時、前置胎盤で不安と共に過ごしながらも元気に
生まれでた理子の存在にずっと感謝してきた。
そして夫翔一郎の突然の悲しい変化にもこの理子の存在が最初から大きなもので
あったことを一番よくわかっていた。
その時から始まった、夫の介護であったが、娘の存在に改めて深く感謝していた。
つづく
by akageno-ann | 2024-05-27 21:10 | エッセ- | Trackback


