大雨の情報
その2
翔一郎は病に倒れて一週間は意識が混濁しているようだった。
誰の呼びかけにも応えず、ただ生きているということがわかるのは、
「ごーごー」と聞こえるほど大きな鼾をかいて眠ることだった。
医師は脳の損傷についてかなり厳しいことを語った。
しかしその最悪の状態を語っておく必要が現代の病院側の現状としては
いたし方のないことだったと思う。
理子ははじめ泣きじゃくりながらも、次第に冷静さを取り戻していた。
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「パパ、理子よ~~~起きて~~そんなに寝てばかりいないでくださ~~~い!」
「おとうさ~~ん・・どうしたんですかあ~~~・・はい!右手動きますよ~~
私の手を握り返してくださ~~い!」
ベッドの傍らで本当に時に看護士に静かにするよう注意を受けるほど語りかけていた。
もちろんそんなに冷たい注意ではない、ちょっと度が過ぎる声の大きさのときだけ、
「お気持ちはわかるけれど、他にも患者さんがいるから・・」
とは当然の注意だった。
私はわかっていた。静かに過ごさなくてはならないことは・・
でも父が目覚めて、もし私がわからなかったら・・と思うと、
今この瞬間も父の脳に自分がただ一人の娘であることを知らせたかった。
母は父の足をさすり、動かない左手の一本一本の指をマッサージして、
やはり必死のリハビリを素人ながら続けていた。
父の学校関係者が見舞いに来てくれるが、その都度いろんなアドバイスをしてくれる。
気持ちは有り難いがだんだんそれを聞くのも辛くなっていった。
一番母が辛かったであろうと思ったのは、
看護室に一番近い病室で看守られていた様子に
「何故個室にしないのですか?こんな環境では危ないですよ!」
と父の友人に言われたときだった。
その人は父の同僚で同学年の担任で独身の女の先生だった。
「片山先生を尊敬してます」
から始まって、
「お疲れがたまっていたんですね」
と、涙を浮かべて父を哀れむ姿は見ていて奇妙だった、いや、気持ちが悪かった。
こういう状況のとき親族以外の人にあまり立ち入られるというのは
すごく患者の家族を辛いものにする。
でも母は、藁にもすがる思いで、なにか良い方法をと、探っていたらしい。
相手のアドバイスに「はい!」という返事を真剣に繰り返し、
その意見を素直に受け入れようとしていた。
結果その母の忍耐強さは見舞いの人々に感銘を与えたらしい。
しかも始めはいろいろ言いつつ見舞いに現れる人々も時間と共に
次第に少なくなっていくことを、母はよく知っていた。
そして、発病から十四日目に父は初めて、しっかりと目覚めたのだ。
つづく
by akageno-ann | 2024-05-28 21:55 | エッセ- | Trackback