人気ブログランキング | 話題のタグを見る

なみだ雨

なみだ雨_c0155326_04531355.jpg

昨日の四時半の夜明けの写真です
その後 「虎と翼」のドラマを視聴中に
ラインメールが入りました
いつも楽しいお誘いのメールなのですが
こんな早い時間ははじめて

劇中は戦死のお話
そしてメールは友人の訃報でした
「なんということ」とやっと返信し
主人と無言で哀しみ、祈りました

「急逝なのです、天に祈っていただけたら」と
夫人の優しい言葉です

同世代でインドデリー時代からの友人
永くお付き合いしている方は限られています

想い出に耽りました

少し落ち着いたらまた想い出を綴らせていただきたいです


なみだ雨_c0155326_05012663.jpg

昨夕の小高い丘からも冥福を祈りこの写真を撮りました
そして今朝は涙雨

私たちもこういう年代になったのだと 誠実でエンターテイナーで
デリーの日本人会を盛り上げてくださった素晴らしい方の天への
旅立ちを見守りたく思います



にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ

お時間ある方はmoreの小説を読んでみてください

第二章 第4話です  転載はご遠慮ください(_ _)  藤原沙也子








  その4


 人はそう簡単には死なないけれど、元気に生きていくって、

とても大変なことだと、理子は初めて知った。


まだ十三歳だった彼女は親族の死や大きな病気も体験していなかったので、

最初は感情のコントロールに苦しんでいるようだった。

理子が一番嫌だったのが、祖母の落胆の言葉を聞くことだった。

我が子翔一郎の突然の悲劇を受け入れられず、その原因もわからず、

どこかに怒りをぶつけることもできず、時折パニックになって、翔一郎自身に

「あなたはいったい、どうしてこんな姿に・・・」

と、泣き崩れていることがあった。

それまでの日常は翔一郎は同居の母の信子をさりげなく大事にしていた。


力仕事の殆どのことを祖母の代わりをしていたし、

休みの日に大きなものを買いたいといえば、気楽に車を運転して連れ出していた。

母の美沙もそういう夫翔一郎の姿をほほえましく見守っていたのだ。


だから、と、いうわけでもないが、理子の思うには

「お父さんは病気なのに、何故おばあちゃんに文句をいわれなくちゃならないの?」

という疑問だった。

美沙は、姑信子の精神が安定しない間、自分の実家に理子を預けることも考えたが、

恐らく理子がいないと、美沙と信子の関係は煮詰まってしまうだろうと考えた。


これからも三人で翔一郎を介護していかねばならないのだから、

理子にもその役割を一緒にわかっていってもらおう、と心に決めていた。


果たしてそれは功を奏したようだ。

理子は大人よりも柔軟に考える思考能力を持ち、面倒がるより先に、

父との時間を率先して作っていったのだった。


信子は翔一郎が目覚めたという連絡を受けて、病院に急行したが、

残念ながらうまくその日は目覚めず、臍をかむような思いをさせられた、

と少々文句を言いたげたった。


こんなときに、美沙が杓子定規に

『すみません、でも私たちのことがわかりました』

など言おうものなら、嫉妬で不機嫌な発言をしかねないと、想像できた。


「理子のことはわかったようですが・・私のことはもう一つわからないのです」

と、だけ言っていた。

それはその時の信子の心には大事なケアになるようだった。


『大人の世界は、結構本当でない心があるのだ』

と、理子は美沙の様子から初めて感じたのだった。


                       つづく




by akageno-ann | 2024-05-31 05:16 | エッセ- | Trackback