百合を捧ぐ
その7
北川先生は、『理子ちゃん』と最初からとても親しげに語りかけてきた。
「理子ちゃん、いくつになったの?学校たのしいかい?」
北川先生の語り口はとても暖かくて、誠実そうだったので、
私はさっき母がすがりつくようにして泣いたことは、
頭の隅から離れなかったけれど、多分母はとてもその人と親しいのだ、と解釈した。
ぼんやりと質問に答えていると、母は
「理子、北川先生の奥様は、私がよく話す怜子(さとこ)さんのご主人ですよ」
私は、そうだった・・と思い出した。
怜子(さとこ)さんは母がとても尊敬する人だったそうで、
でももう、この世にはいない、と聞いている。
「インドでは家族のように一緒にたくさんの時間を過ごしたの。
そしてきっと貴方が生まれたことを喜んでくださったと思うわ」
そう話してくれたのは、私が六年生の頃だった。
学校の授業でマザーテレサの伝記を読んだとき、母は、その怜子さんが
インドのその施設を訪れたことがある、と話してくれた。
そしてまた、二人の仲良くなったきっかけは『赤毛のアン』の小説が
二人とも好きだということだったそうだ。
そのどちらの事実も私にはちょっと大人の世界に入れたようで、
とても嬉しく、一生懸命それらの本を読んだことを思い出した。
『アン』の本は、中学校入学祝いに村岡花子訳のシリーズで母が揃えてくれた。
母は自分がそうして持ちたかったのだ、と言っていたけれど私もとてもうれしくて、
休みの日や定期テストの終わった日に楽しみに読んでいた。
その頃のなんの心配もない、夢や希望のいっぱいあった時を思い出していると、
今の私はほんのちょっと、いいえ、たくさん哀しくなってくる。
母は北川先生との親しさをそんなに話してくれなかったけれど、
まるでお兄さんのように慕っているのだ、とわかった。
北川先生は母の大親友だったというその奥さんが亡くなったあと、
再婚しているということを聞いていた。
奥さんがちゃんといる人だって聞いて、私は安心した。
父は北川先生のことを見て、とても喜んでいるようだった。
北川先生とお酒が飲みたい、と言って、ほんの少しだけどビールを舐めさせてもらって
嬉しそうだった。
そしてそれ以上は欲しがらなかった。
「いやあ ぼくの・このびょうき、のみすぎですね。せんせいも・きをつけてくださいね。」
と、そう父はたどたどしいが、愉しそうに話すのだった。
つづく
by akageno-ann | 2024-06-03 19:22 | エッセ- | Trackback