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百合を捧ぐ


ガーデンの6月の花たちが次第に
咲き始め、雨上がりに訪ねるのが楽しみです

今朝は地震の警報に驚かされましたが
こうして常にどこかに緊張感を
持っていたいと思いました。

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百合は色がわかってからなかなか
花開こうとしませんが
一輪一輪ゆっくりと
ひらいていくようです


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インドで出会った外交官
在インド日本大使館の人々は
外交と共にそこに住む我々
一般邦人のことをよく見守って
くださっていました

暑さと停電も共有しながら


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当時若き外交官として
その大使館に赴任された
西郷正道さん

人と人を優しさで繋ぐ素晴らしい方


コロナ禍に在ネパール日本大使と
なって赴任され、ネパールの方たちにも
慕われていらしたのでしょう

大使館のブログにも
その残念過ぎる訃報がありました


百合を捧ぐ_c0155326_17234995.jpg

ここ数日私たちインドでの
友人たちが彼を偲び
インド時代を偲んでいます

ここでも冥福を祈らせてください


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お時間ある方はmoreの小説を読んでみてください

第二章 第7話です  転載はご遠慮ください(_ _)  藤原沙也子







  その7


 北川先生は、『理子ちゃん』と最初からとても親しげに語りかけてきた。


「理子ちゃん、いくつになったの?学校たのしいかい?」

北川先生の語り口はとても暖かくて、誠実そうだったので、

私はさっき母がすがりつくようにして泣いたことは、

頭の隅から離れなかったけれど、多分母はとてもその人と親しいのだ、と解釈した。


ぼんやりと質問に答えていると、母は

「理子、北川先生の奥様は、私がよく話す怜子(さとこ)さんのご主人ですよ」

私は、そうだった・・と思い出した。

怜子(さとこ)さんは母がとても尊敬する人だったそうで、

でももう、この世にはいない、と聞いている。

「インドでは家族のように一緒にたくさんの時間を過ごしたの。

そしてきっと貴方が生まれたことを喜んでくださったと思うわ」

そう話してくれたのは、私が六年生の頃だった。


学校の授業でマザーテレサの伝記を読んだとき、母は、その怜子さんが

インドのその施設を訪れたことがある、と話してくれた。


そしてまた、二人の仲良くなったきっかけは『赤毛のアン』の小説が

二人とも好きだということだったそうだ。

そのどちらの事実も私にはちょっと大人の世界に入れたようで、

とても嬉しく、一生懸命それらの本を読んだことを思い出した。


『アン』の本は、中学校入学祝いに村岡花子訳のシリーズで母が揃えてくれた。

母は自分がそうして持ちたかったのだ、と言っていたけれど私もとてもうれしくて、

休みの日や定期テストの終わった日に楽しみに読んでいた。


その頃のなんの心配もない、夢や希望のいっぱいあった時を思い出していると、

今の私はほんのちょっと、いいえ、たくさん哀しくなってくる。


 母は北川先生との親しさをそんなに話してくれなかったけれど、

まるでお兄さんのように慕っているのだ、とわかった。

北川先生は母の大親友だったというその奥さんが亡くなったあと、

再婚しているということを聞いていた。

奥さんがちゃんといる人だって聞いて、私は安心した。


父は北川先生のことを見て、とても喜んでいるようだった。

北川先生とお酒が飲みたい、と言って、ほんの少しだけどビールを舐めさせてもらって

嬉しそうだった。

そしてそれ以上は欲しがらなかった。

「いやあ ぼくの・このびょうき、のみすぎですね。せんせいも・きをつけてくださいね。」

と、そう父はたどたどしいが、愉しそうに話すのだった。

            つづく


by akageno-ann | 2024-06-03 19:22 | エッセ- | Trackback