クチナシの花の香


第三章 その1
父の介護で大変なのは、実は父の周辺の人々とのかかわり方であった。
私は娘の立場だから、毎日病院へ顔を出すだけで周囲からは「いい子」
の印象で受け入れてもらっていた。
でも母は常に父の治療とリハビリの総監督で医師や介護福祉士、ケアマネージャーという
父の為に様々な計画や立案してくれる人々と話し合い関わっていなければならなかった。
介護をする・・という特殊な仕事に関わる人たちは総じて、親切で慈愛に満ちている。
特に最初は物腰の柔らかさやこちらの話をよく聞いてくれる点でも申し分なかった。
だが三ヶ月ほどたった頃、ケアマネージャーとの話し合いでは少々様子が変わってきた。
母は彼らに
「申し訳ありません」と深々と頭を下げることがしばしばあった。
そうすると、不思議と「言いすぎた」と思うのか、それ以上いわれることはなかった。
そう、父が結構スタッフにわがままを言うようになったのだ。
父は私には甘えるが、わがままは言わなかった。
むしろ私は『父はよく頑張っている』と思うのだ。
今までの父が本当に弱音を吐かない人だったから、こうして突然の病を得た今、
少し休ませてあげたかったのだ。
私の目からみて、母 美沙はとても心が強くなっていった。
本来はほんわかとしたユーモアのある人で、『あまり苦労を知らない人なのか』
と思わせる感じだったが、父翔一郎の病気以来、母は私が今までに
知らない面を見せるようになった。
特にいろいろに訪れるお見舞いの人々に対して、
母はわざと心を閉ざしていることがあった。
最初親戚関係が来てくれていたときには、
祖母が殆どの応対をしていたので気づかなかったことだ。
父の仕事関係の人々は教師が多いのだが、あるとき同僚の女の先生がいらして
「片山先生はまめに人間ドックをなさらないからいけないんです。
あれだけお仕事されて無理されてたんですね」
その言葉は心からの父への見舞いの言葉であったが、家族には痛烈な批判になっていた。
母は
「申し訳ありません。ご心配いただいて」
と、それだけ言って黙って父に寄り添っていた。
そのあともその人は、病気に対する知識や病院の内情についていろいろと
詳しく話してくれていて、最後に父に
「頑張ってくださいよ。学校は先生を待っていますよ」
と、強く父の手を握った。
しかし父はあまり大きく反応せず、その人にさよならの手を振った。
母はただ深々と頭を下げていた。
そしてそれ以来その人がくることはなかった。
北川先生が見舞いにいらしてから、私は大人の見舞いの仕方について考えるようになっていた。
病気見舞いとは、そう簡単に考えて行動してはいけないような気がしてきた。
つづく
by akageno-ann | 2024-06-06 20:25 | エッセ- | Trackback




