開花の喜び
その4 理子とメイ子
母はメイ子さんという大学生と私を連れて銀座のイタリアンレストランに入った。
「メイ子ちゃん、イタリアン好きよね・・小さいときだったけど、
スパゲティをよく作って食べたわね」
「はい、今でも大好きですよ。自分でも作りますし。
でもこうしたレストランは久しぶりです。ご馳走になっていいんですね」
と、メイ子さんは母にとても親しそうに語った。
若いウエイトレスはアジア系の人で、なんともいえないはにかんだ様子が優しげでよかった。
言葉少ななサービスであったが、私たちには気楽だった。
母がコースをとってくれて、最初にとてもきれいな前菜が一皿に盛られてきて、
母が私たちに取り分けてくれた。
生ハムにアボカドがまかれていた。黒い細長い貝はムール貝だと教えてもらった。
牡蠣が生だったので、母は私たちに無理をしないように言った。
母は生牡蠣が苦手だった。メイ子が
「私大好きなので、いただきます」
そういって母の分もたべていた。
この親しさは何なのだろう・・でもメイ子はやさしい雰囲気で理子に声をかけてくれるから、
理子は愉しかった。
「理子、メイ子ちゃんはね、インドで一番親しい小さなお友達なの。
よく遊びに来てくれたし、旅行も一緒にしたわね」
「はい、でも母がちょっとわがままなところがあって・・・
おば様と最後まで親しくできなかったんですよね」
料理は前菜の続きのフルーツトマトの冷製パスタだった。
二人の話を聞きながらも理子は一生懸命そのスパゲティを口に運んでいた。
「メイ子ちゃんはその頃はまだ小学一年生でしょう・・そんなことわかったの?」
「いいえ、多分それは母のその後の話からわかったと思います。
日本に帰ってから何度かおば様に会えたのに、そのあとずっとお会いできなくなって
どうして美沙おばさんに会わないの?って聞いたんです」
理子は母とメイ子さんが長いこと会っていなかったことがわかった。
「ごめんなさいね。懐かしかったのよ。でも、大人というのは元の
日本の暮らしにもどると、そのことで精一杯になってしまうのね」
料理はスープになっていた。
「ミネストローネスープ・・私大好きです」
そう、メイ子が言った。
理子はそのスープをはじめて覚えた。
大学生になるといろんなことを知っているのだなあ、と感心して聞いていた。
「でも、一番の理由は母とおば様とはあまり気性が合わなかったのでしょう?」
そう問われて母は
「なんだろう・・私にはその頃子供がなかったし、
お母さんの気持ちがもう一つわかっていなかったんだと思うの。
デリーでは子どもを安全に健康に育てるのは大変なことでしたからね」
「私は美沙おばさんが大好きだったから、とても寂しかったのを覚えています。
でもその後もずっと誕生日にプレゼントを贈っていただいて、
それは我が家にとってはとても嬉しいことでした」
と、メイ子は言った。プレゼント・・そういえば母は自分の誕生日の近くに
母と同じ誕生日の友人のお子さんがいる、と言って必ず女の子に相応しいものを選んでいた。
覚えているものの中に、オルゴールやクリスタルのピアノの置物などがあったのを思い出した。
「貴方と私の誕生日が同じだったなんて・・それはとても奇遇ですものね」
そうだったのか・・・と、理子は理解した。
「父からのメールで片山のおじさまのご病気を知りました
。父は北川先生からご連絡をいただいたんだと言っていました」
そうだったのか、インドの日本人学校で皆知り合いだったのだ、
と理子はやっとわかってきた。
料理は、魚介のグラタン仕立てという濃厚な味のものが運ばれてきた。
日ごろは食べたことのない、今夜は父の病気を信じられないような夜になった。
父は元気で家で待っているような錯覚をしていた。
そうであってほしかった。
つづく
by akageno-ann | 2024-06-09 21:41 | エッセ- | Trackback