他力本願にて
その5
美沙は平田よう子に手紙と別に日本の和菓子を送った。
在外赴任者は米国やシンガポールなどのように日本の食品が殆ど揃うところでない限り
日本食材を手に入れることが困難であった。
インド時代にその経験をもつ美沙は中米の国についてもそれと似たような
状態にあることは予想できた。
おそらく平田夫妻はこの二度目の赴任はインドよりも先進国であると確信しての
応募だったに違いない。
インド時代に平田氏は夫に
「必ずや管理職でインドよりも楽に暮らせる国に行こうと思っている、家族のためにも・・・」
と、語ったことがあった。
インドでかなり妻や娘のメイ子に苦労をさせてしまった、
と思い込んでいた平田氏のその言葉は大変意味深いものと翔一郎も美沙も感じていた。
しかし文科省の派遣のための選考試験では
「いずこの地へも参ります」という確約を取られる。
それでも実際は様々なコネクションによってある程度の希望地が望める、
と平田氏は踏んでいたのだ。
「一回目は何も知らず受けたから二回目はなにかつてを見つけたい」
そうあっさりと話していた。
しかし公的な派遣にはそのようなことはなかったのだ、と美沙はよう子を気の毒にも思っていた。
先進国とはいえないその国に彼女は一人娘のメイ子を日本に置いて夫について
赴任したことは美沙にとっては驚きだった。
それは一つの家族の成長なのだと感じた。
美沙は様々に想像しながらよう子が生き生きと活躍する姿を夢に見た。
そこにはなんとも言えない羨望の思いが潜んでいることを美沙本人が感じていた。
そんな想いを持ちながら手紙が先方の平田家に無事着くことを願っていた。
日本の和菓子もきっとよう子は喜んでくれるであろうと、吟味して送った。
しかし驚いたことにはアメリカ本土にありながら郵便事情はあまり良くはなかった。
美沙は手紙の投函の後に、一番早く着くというEMSで別便の和菓子を送っていた。
だが、皮肉なことにその菓子は一週間ほどで届いたが、
手紙の方はずっとあとになってしまっていたのだ。
つづく
☆☆☆蒸し暑さは水分の摂り過ぎに注意しています。
今日もありがとうございます。
by akageno-ann | 2024-06-17 20:34 | エッセ- | Trackback