朝の入浴 小説はインドのこと
その4 インドのこと
人はその家に不幸が訪れると様々な形で反応する。
その行動の仕方はそれぞれに心の込められたものであるはずだが、
ある時には何気ない言動でさらに深い悲しみに陥れてしまうことになる。
翔一郎と美沙の友人の中には、インドでの出会いを通した友人がいる。
インドで培った友情はそのまま日本でも繋がれていた。
美沙は翔一郎の不慮の病を必要以上には広めたくはなかった。
それはインドに行くというあの年に感じた 人の感性のあまりに
異なる表現に出会ってしまったことがあったからだ。
インド・・・その国を何も知らずに蔑む(さげすむ)人々があった。
いや、しかし美沙ですらインドを知らなかったから逆の立場に
なったときにどんな態度を表すかはわからない。
しかし、同じ人間、日本人でありながらも、
人は同じ感覚ではないことを思い知ることがある。
それまでもかなり親しいと思っていた、美沙の友人が
退院後すぐに見舞いに来てくれた。
大勢でなく、ほんの二人で、友人の代表として、
多額の見舞金を届けてくれたのだ。恐縮する美沙に
「もちろん治られたら快気祝いをちょうだい」
と 彼女たちは明るく冗談を言って、できる限り翔一郎の役に立ちたい、
と申し出てくれた。
彼女らは、多くを聞かず、また語らず、
ただ静かにこれまでの病状を美沙から聞いて、
「どこかへ出かけたいとか、音楽会のコンサートや映画鑑賞などで
刺激を与えたいと思ったら、私たちに連絡をくださいね」
と、具体的な提案をしてくれていた。
病気などになってみて、初めて知る人の心の篤さだった。
インド時代にわかった、人の本音のところを感じ取る力を
持ってしまっている美沙は、本能的に心地よい見舞いの言葉を
述べてくれる人を選んでしまっていた。
あまりに気の毒だ、大変ね、可哀相、などと哀れまれることは、
かえって哀しみを倍増させられた。
こうして大変と思われる家族であっても、笑うこともあれば、
楽しい夕餉を囲むこともあるのだ。
そんな幸せを感じているときに、突然に現れた見舞い客に
あまりに大きく慰められると、また再び哀しみの底に押し込められて
しまうような気もしていた。
だから美沙は、本当に会いたい人を より分けてしまっていたようだった。
美沙自身、常にいいようのない哀しみを持っているのだ。
その美沙が絶望の淵に追いやられぬように・・と
考えてくれる友人こそが真に心をわかつことのできる友だったのである。
つづきます
インドの暑さと共に世界中の異常気象を
憂えます。 お読みくださりありがとうございます
暑さに気を付けてください。
by akageno-ann | 2024-07-12 05:48 | エッセ- | Trackback