埼玉には空がある
その4 望郷のデリー
昭和六十年代に片山翔一郎と美沙が渡ったインドのデリーは
現在のデリーに比べてまだまだ素朴さと長閑さが残っていた。
インディラガンジー空港が改築されたばかりで、美沙達はそれまでの
古い駅舎のようであった空港からの新生活の出発でなかったことは、
最初からデリーの空気を楽しさを交えて受け入れることができるのだった。
インドの暮らしは日本の暮らしに比べると「不便」という言葉で
総称させてしまうが、ビデオを見ながらいつになく饒舌になる
美沙はとても快活で明るかった。
「これはね、家の前に毎朝サブジーといって新鮮な野菜を
売りに来るリヤカーなの」
画面は閑静な住宅街の道路をゆっくりと大きなリヤカーを引いて歩く
若者の姿とその荷台につまれた瑞々しい野菜が映し出されていた。
それをどうやら美沙が自宅の二階から撮影しているようで、
その青年と美沙の家のサーバントのシャンティに向かって、
声をかけていた。
行商の青年は日に焼けた端正な顔立ちではにかんだ顔を
上に向けて返事をしていた。
「インドの人は顔立ちがいいのねえ」
そう口をはさんだのは隣人の扶川夫人だった。
「そうなんですよ、彫りが深くて、私なんか自分の顔の
凹凸がないかと思いました」
と美沙が答えて皆が笑った。
その野菜を少しずつ籠に買って、シャンティは上の美沙に
「これでいいか?」という顔で聞いている。
「OK」と美沙が答えてその場面が終わった。
翔一郎は笑いながら
「この人は、ここでのんびり暮らしていたんです」
と、楽しげな声で参加し始めた。
同席の人々はそのことを喜びながらも敢えて自然に会話をしていた。
この日翔一郎の理解度は素晴らしいものがあった。
ビデオは次の場面に移っていった。
「あ!」
その場面に声をあげたのは平田メイ子だった。
その画面には幼いメイ子の姿が映し出された。
「メイ子ちゃん、かわいかったなあ・・」
そう懐かしそうに呟いたのは翔一郎だった。
つづきます
※インド並みの暑さの関東です
どうか休養をよくとってください。※
by akageno-ann | 2024-07-26 13:54 | エッセ- | Trackback