祭りのあとに





インドのビデオに映し出された幼い平田メイ子は
大きなバースデーケーキの四本のローソクを吹き消していた。
あまりに真剣に吹き消そうとしたとき、可愛いメイ子は
頬をふくらませ唾まで飛ばしてしまって、その映像の中にいる
人々の大きな楽しげな笑い声と共鳴するように、
そのビデオを今見ているこちら側の人々、そしてすっかり成長した
メイ子は大爆笑をしていた。
その笑いの渦の中に、病気発症後初めての大声で
一緒に笑う翔一郎がいた。
その姿をみて、静かに翔一郎の母信子が安堵の涙を浮かべていた。
信子はもう八十歳になった。
本来ならすっかり悠々自適でいい人生の終末を迎えて
いいはずなのに、息子翔一郎の不慮の病は彼女を
深い悲しみと絶望の境地まで陥れていた。
しかし人間は生きている以上精一杯生き抜かなくては
ならない、という彼女の持ち続けた信念によって立ち直らせていた。
彼女は自分が永遠の目を閉じる日まで、ここで役に立つ
生き方をしていきたいと思っていたのだ。
その信念が彼女を気丈に台所に立たせて、美味しい食事を作らせていた。
この日も美沙はオードブルとサラダを作っただけだった。
信子の新鮮なダイコンとニンジンとキュウリを薄い短冊に切って
冷水にさらし手製の胡麻のドレッシング添えが、
その日大人気の一品になった。
インド時代の映像にもあるようにその日は大きな楕円の
テーブルにところ狭しと料理が並べられ、それをみな大皿に
とりあって、和気藹々と話をしつつ食を楽しむのだった。
翔一郎にはメイ子が皿にとりわけ、娘の理子が手伝って
彼はすべて美味しそうに食べた。
おそらく母親の味をこれほど堪能したのは初めてなのではないか・・
と冗談まで交えていた。
しかしそれはあながち嘘ではなかった。
信子は定年まで教員として勤めていたので、料理は下手ではなかったが、
簡単なものが多く、弁当などもあまり工夫がなく、
高校生時代の翔一郎は少し寂しい思いをしたのだった。
だから彼は美沙とデリーに渡りこのようなバイキング形式の
パーティをこよなく楽しんだ。
そして今、自分の母親が自分の誕生日の為に老齢であるにも拘わらず
このように人々に美味しいと賞賛されて味あわれていることに感動があった。
そうしてこの誕生日はデリー時代と重なりあって時間が美しく過ぎていった。
次は第8章です。酷暑お見舞い申します
お読みいただきありがとうございます。
by akageno-ann | 2024-07-28 20:56 | エッセ- | Trackback