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紙すきの写真


暑さのため部屋での作業だけにしています
手紙と写真の整理です

懐かしい主人の教え子からの手紙も
大切にとってあるので
たまに開いてみると、中学生だった
頃の生徒の温かい言葉や
教師に対する尊敬の念が伝わり
改めて感動してしまいます


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この写真は私が新卒で小五の
伝統工業の研究授業をすることに
なったとき、高知の叔母に
頼んで土佐和紙の手工業の
写真を撮って送ってもらったものです



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叔母の熱心な工場見学しながら
写真を撮ってたくさん送ってもらったことを
今胸が苦しくなる想いで見つめています

本当なら自分で帰郷して見学するべき処を
叔母に電話で頼んだら喜んで
引き受けてくれたのです

あの当時のまだ伊野町の土佐和紙の
手工業の様子の写真

貴重なものでした


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今その高知に帰っております
小説は九章の4です
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 その4


 翔一郎が土佐に帰ると親族は一堂に介して久しぶりの

大勢の来訪を喜び合った。

翔一郎の従兄の賢一は、翔一郎の病をことの他残念がったが、

こうして高知に来れるまでになった様子を誰よりも喜んでいた。

賢一は体格の良い土佐のいごっそうと言われる男で、

酒に強く人の世話が良くできる人間だった。


その時も車椅子から翔一郎を軽々と抱き上げて風呂にいれたり、

トイレの介助をしたりと、

信子はこういう男性が家にいてくれたらどんなにか

翔一郎が心丈夫であるだろうに・・と思ってしまったほどだった。


翔一郎も始めは少しはにかんだ様子だったが、酒も少しだけ

共に飲み、心が解放されるような姿を久しぶりに皆に見せた。

そういえば翔一郎は酒好きだったのだ。


脳の病気はアルコールの摂取しすぎはよく問題になるが、

倒れた時に大酒を飲んでいたわけでもなく、その後も

梗塞や血管からの出血もみられないので、普通の食事と

たまに嗜む程度のアルコールは許可されていた。

賢一はそれを喜んで少しの日本酒を翔一郎と酌み交わし、

これからのことを話し合っていた。


「翔一郎君。こちらへ帰ってこないか?ここでリハビリ

しながら教育相談員をやってくれないか?」

翔一郎が教師として頑張っていたことや、インドへ

赴任したことも賢一は、この地方から憧れをもって見つめていた。


自分は高校の修学旅行で東京に出たがそのときに大学を

東京にしようとは思わず、地元の高知大学を卒業した。

この地ではエリートと言われて、そのまま役場に勤めて、

今は課長までになっている。

人事権も少しは持っていて、特に教育行政を強化しようと

している現在の状況から、障害者になった翔一郎に仕事に

就かせたいと、心から考えていたのだ。


賢一はこの土地で実に堅実に土地の発展のために仕事してきた。

土佐が大好きな賢一は頑固一徹

土佐のいごっそうとしての自負があった。

「いごっそう、てのはそんな簡単に説明できるものじゃない。

本気で土佐のこと考えてる男だけに与えられるに

称号みたいなもんじゃき」

酔っぱらったように会話を楽しむ賢一は翔一郎を

本気でこの土地に迎える準備を始めようとしていた


               つづく



by akageno-ann | 2024-08-22 11:00 | エッセ- | Trackback