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台風の心配など


台風が日本列島を縦断するようで、この頃の異常な天候が
不安を駆り立てるようです。
いつも台風の通り道の高知はこの頃台風が避けていくと
それは水不足にも繋がるそうでほどほどの風雨は
あってほしいようでした。

しかし最近の自然災害の大きさには皆が不安な思いを
持ち始めています。

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旅から戻ってガーデンに行くと遅い開花の朝顔が一斉に
元気に咲いていて、嬉しく思いました。
義父の墓参りの途中の友人宅には見事な無花果が見えました。
ふるさと高知も紫陽花が枯れそうでした。
しかしこの雨でこの辺りの紫陽花は息を吹き返しそうです。


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お米が埼玉、東京は買い占められています。
そんなニュースを土佐のみんなとはなし
一人暮らしの方に小さな高知の
米をお土産にしてみました。

高知は南海トラフをいいながらも
お米は大丈夫、と呑気です。

それに水につかったらどうしようもない、
との見解でレトルトパックを
備蓄していました。



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小説は九章の6です
まもなく終章です
お読みいただき本当にありがとうございます。
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 その6 土佐路へ


 片山ファミリーの土佐の旅は二泊三日の短いものだったが、

たくさんの再会が詰まっていた。

親族は従兄弟関係が中心になって、翔一郎を励ますように集まり、

幼い頃一緒に遊んだ思い出話に花を咲かせた。

仁淀川は水深三メートルにもなる場所があり、かつて鉄橋の

橋げたから飛び込みを競った河童の様に泳ぎの達者な

仲間たちがそこに集まっていた。

翔一郎は体格がよく、運動能力も高く、活発だった

少年時代をここで泳ぎや魚釣りをして楽しんだのだった。

小学校時代は関東に移り住んでいたので、一年に一度、

正月か夏休みに帰郷して細々と友情を育んでいた。

手紙を書くわけでもなかったが、こうして何十年かぶりに

障害者になった翔一郎がここに戻ったとしても、

皆昔と変わらない気持ちで触れ合うことができた。

いやむしろ、関東で教師をし、インドという異国での

在外生活も経験した翔一郎は、いわゆるこの土地の

出世頭と思われたのかもしれなかった。

しかしそのことは次第に土地の者たちとは

一線を画すものに発展した時代もあった。

かつて帰郷のとき、酒の席で明らかにあてつけがましく、

ふるさとを捨てた家族として片山信子、翔一郎の親子を

揶揄する者もいたことがあった。

だが、今こうして若くして障害者となって帰郷した彼に対して、

大きな同情を寄せるものもある。

同情を素直に受ける信子と翔一郎がそこにいた。

従兄弟の中にはその気持ちの柔くなった翔一郎の今を

憂えるものもあったが、

「この地へ戻ってくれば、皆で支えて暮らせる」

と皆口々にいうのだった。

娘の理子は、ほんの少し、大人たちの勝手な

会話が悲しくなっていた。

自分も一緒に高知へ来なくてはならないのだろうか。

自分は今の祖母と両親と平田メイ子のいる今の

くらしが好きで大切だった。

父は病気になって優しくなって、理子を今までよりも

ずっと可愛がってくれていた。

その父が一人ここへ来るはずもないが・・

ふといろいろに考えて不安になった。

だが、高知最後の日に理子とメイ子は嬉しい再会が用意されていた。

翔一郎たちがインドで一番親しくしていた、北川先生に会えることだった。

北川先生に会うことは美沙も嬉しいことだった。

彼の家に立ち寄って、亡き北川怜子にも心の中での再会を願った。

                    つづく


※まもなく終章です。ここまでおつきあいいただき

ありがとうございます。ふるさと高知にて改めて

土佐の良さを感じています。※


by akageno-ann | 2024-08-26 19:37 | エッセ- | Trackback