嵐の前に
その7 仁淀川にて
北川怜子(さとこ)を鮮烈に思い出すことが
片山美沙にはしばしばあった。
夢に出てくることも時あった。
懐かしい、忘れられない人になってしまっていた。
友人を失うというのは人生の中で当たり前のようにあることなのだが、
しかし美沙にとって怜子の出会いと別れはあまりに短い期間に
訪れた運命的な出来事だと思えた。
デリーでの出会いは偶然なのであろうか?
デリーの住宅街の一角で隣人になれたこと、
毎日のように会って、親交を深め、酒を酌み交わしたこと。
その一つ一つがインドのデリーという、日本人が生活を
していくには何かと大変だった場所でのことであったので、
それはまるで映画のシーンを見るように今も思い出される。
その北川夫妻がこの高知出身であることは美沙にとっての
大きなメリットになっていた。
美沙の嫁いだ片山家は土佐出身だったのだ。
夫の翔一郎も幼い頃を土佐で過ごしていたので、
土佐弁はしっかり身についていた。
さすがに関東が長いので日ごろはそれを話すことは
少なかったが、デリーでの両家はよく土佐弁で会話をしていた。
土佐弁は郷愁を慕うためでなく、エネルギッシュで、
インドのヒンドゥ語に負けないものがあった。
そんなことを思っていると、宿に北川氏が車で現れた。
東京の病院に翔一郎がいたときに、わざわざ見舞いに
来てくれて以来の再会だった。
「いやああ・・ようきたねえ」
ラフなポロシャツにGパン姿で現れた彼は
前回の出会いより若い、と美沙は思った。
翔一郎を見つけてすぐに近寄り、車椅子を押して、
自分の車へ誘った。
彼の車は大きなワゴンで、車椅子ごと乗車できるものだった。
「レンタカーだよ。今はこういう便利な車があるんだね」
そう照れながら説明してくれたが、さすがの接待に
美沙の心はその気持ちに深く打たれていた。
平田メイ子が近寄って
「北川先生、私も来てしまいました」と
お茶目に挨拶したので、美沙はほっとした。
北川先生はメイ子を愛おしそうに見て、肩を叩き
「ようきた、ようきた」
と、目を細めた。まるでインド時代のデリーの住宅地での
情景のようだと、美沙は思った。
理子も素直に北川先生に従ってその車に乗った。
美しい初夏の緑の映える川筋を車はゆっくり走り出した。
水面の蒼い美しい仁淀川だった。
終章につづきます
by akageno-ann | 2024-08-27 19:14 | エッセ- | Trackback