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その2 峠の茶屋にて
美沙は翔一郎が病に倒れた時に、一番に考えたことは
娘の理子のことだった。
「どんなことがあっても理子を路頭に迷わせてはいけない。
彼女のもつ限りない可能性や夢を阻んではいけない」
それは決して本人を甘やかすことではない。
今ある生活をなるべくしっかり続けさせながら、
父親が重篤な病にあることも見つめさせなければならない、
と闘病生活の始めは、随分と心に負担がかかっていたことを、
この土佐の旅で様々に思い返した。
燕の巣のある茶店は仁淀川の上流が見下ろせる国道の端にあった。
店の主人や店員の女性たちが親切で、車椅子の翔一郎や
老齢の信子を優しく招き入れてくれた。
店は趣きのある囲炉裏があって、川魚の塩焼きがきれいに並べられていた。
「ここの名物はこのおでんだよ。ねえもう百年煮込んでるよね」
北川は笑いながらそういって、一本のゆでたまごの串をとって
メイ子に渡した。
「メイ子ちゃん、ぼくはこのゆで卵が大好きなんだ。
からしをつけて食べてごらん」
メイ子は皿にそれをとり、理子に渡すと、にこやかに
今度は自分もゆで卵の串をとった。
それから銘々に好きなものを取り合わせて、席についた。
一本百円というそのおでんはしっかりと味のついた素朴なもので、
蒟蒻や豆腐、大きな竹輪と皆楽しんで食べた。
「今日はこの店でゆっくり休んで、森林浴をしよう」
そう北川は提案した。
「その間に理子ちゃんとメイ子ちゃんは手漉き和紙の
体験をしてみないか」
「手漉き和紙・・わああ・・やってみたあい」
理子は美術に興味があるのでその申し出にすぐとびついた。
祖母の信子も嬉しそうで、
「土佐は昔地場産業で手すき和紙が盛んだったんよ。
そうそう美沙さんも行ってらっしゃい。
私と翔一郎でここでゆっくりしているから、大丈夫よ」
と、ちょっと土佐訛りに話した。
美沙も信子のその申し出を有り難く受けた。
北川の車に子供たちと四人で乗ってそこから
十五分ほどの和紙工房に出向いた。
観光用の簡単な和紙の色紙と葉書を作るというものだが、
簀桁(すげた)といわれる紙の大きさに合わせた枠を
漉き船という大きな桶の中につけて、その中の紙の原料こうぞなどを
掬い上げて均等にならすのだが、薄く仕上げるのはなかなか難しいのだ。
葉書大ほどの小さなすげたでも指導なしにはできなかった。
それでも皆楽しんで、何度もやらせてもらった。
ここの工房は北川が学校からの見学などでよく訪れているので
懇意にしていたのだ。
山でつんだ、野アザミや露草など花と葉をちょっと
散らしてみるとその自分の和紙の出来上がりが楽しみであった。
そんな行程を楽しみながら、北川は美沙に話しかけた。
「よくここまでがんばったな・・」
その唐突な声かけに、美沙はふいに胸の内をつかれ、
こみ上げるものを押さえるのに、むせてしまった。
むせたのは、涙をこらえるためだった。
むせながら、涙をこぼし
「ごめんなさい・・むせちゃって・・」
と、涙の言い訳をした。
その涙を北川ははっきりと理解し、ふとそんな美沙の肩を
抱いてやりたい衝動にかられていた。
これから巣立とうとする理子とメイ子はそんなことには
気づかずに無心に紙漉きの体験に興じていた。
つづきます
※また長くなりました。仁淀川を舞台に思いが強くなります。
お読みいただきありがとうございます。※
by akageno-ann | 2024-09-01 19:23 | エッセ- | Trackback