ときめきの心
その3
三日間という短い旅ではあるが、その内容はとても凝縮されていて、
一日がその二倍あるかのような感覚を皆がもっていた。
土佐の人々は遠来の客を飽きさせず退屈させず、と
必死でもてなすことが多い。
皿鉢料理にいたっては、祝い事や法事に突如参列してくれた
人々をも、心から喜んでもてなしたいという思いの現れの様だ。
だから余るほどの皿数を必ず揃える。
信子は若き頃のこのふるさと土佐での様々な思い出を蘇らせていた。
信子の母は薬局の娘で不思議な人を癒す力を持った人だった。
実家からいつも薬をもらっているのか、特に小さな容器に入った
軟膏を「おばあちゃんの薬」といって信子が怪我をしたり、
虫に刺されたりするとつけては治してくれた。
アロエを栽培していてアイロンで火傷をすると、長い時間を
そのアロエの透明な中身をずっと患部に貼って炎症を抑えてくれていた。
生まれたばかりの孫の翔一郎が発熱すると、信子に触らせず、
自ら翔一郎に張り付くようにして看病をし、治してくれていた。
その母の得意料理はイタドリの煮付けや、リュウキュウという
青物の酢の物、寒天草を晒して干してから作るみつ豆や心太だった。
特に祝い事の前日は夜なべしてたくさんつくり、仕出しの皿鉢に
加えて、家の大きな皿や鉢に その手作りの料理を並べていた。
子供たちが特にそのみつ豆のエンドウ豆とさくらんぼを
競って食べた日のことを思い出した。
心太は関東のものとは異なって、ソーメンつゆに
生姜汁をしぼって食べていた。
ソーメンは小豆島のものをたくさん茹でて、薄味のソーメンつゆに
やはり生姜をすりおろして宴の最後の〆のように食べたことを思い出した。
今回の旅は翔一郎を親族に改めてその病気と共に紹介することであった。
信子自身も八十歳を越え、そういつまでも気丈に生きて
いられるともわからないと、思っていた。。
自分はなるべく人の手を煩わせないように人生を閉じられたら、
とも思っている。
しかしこの一人息子の翔一郎の生涯を妻の美沙と、娘の理子だけに
背負わせるわけにもいかない。
親族に力を借りていかねばならない、と考えていたのだ。
つづく
※土佐の美味しいものを思い出しながら物語に
するのは一番幸せなことです。鰹のたたきに始まり
野菜も果物も豊富になった土佐を大切に思います※
by akageno-ann | 2024-09-03 18:58 | エッセ- | Trackback