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はじまりはここから

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曇天の久しぶりに気温の下がったこの日
所沢文化センターにて友人の
コーラスの発表会でした


航空公園駅

新婚時代まだこの駅がない頃
この辺りの公団住宅にて
新しい暮しがはじまりました。


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女声コーラスで
ユーミンや松山千春を聞きました
ミサ曲はフォーレ作曲

学生時代の合唱の為の蓼科での
合宿を思い出しました。

あの頃確かにこのように
暑くはなかった


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ふと散歩中の空を見上げれば
秋空に萩でした

この辺り秋が静かに
訪れています


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以前の資料を校正しつつ
「仁淀川に帰す」という小説を
始めます。

お時間ありましたらmoreへ






小説「仁淀川に帰す」

 
 第一章 その1 

 国道33号線は高知県高知市から四国山地を経由して

愛媛県松山市に通じる一般国道である。

かつては国鉄バスが1時間に一本あって、高知市内から

いくつもの停留所で利用者が乗り降りし便利な交通手段であった。。


このバスに乗ると、孝之は寺村というトンネルにさしかかると

いつも胸がキュンとする感情が甦った。

孝之は高知県の吾川村で昭和5年に生を受けた。

仁淀川の上流を見下ろせる小さな村で長男として生まれ、

その家の跡継ぎができたことを村中で祝ってもらった。

両親は小学校教員で慎ましく暮らしていたが 父伸之が

友人の借金の保証人をしてその肩代わりをさせられ市内の持ち家と

田地田畑を取り上げられたために、夫婦で相談して当時の満州国の

日本人学校に赴任することになったのだった。

孝之3才の頃であった。

まだ一人っ子で一時帰っていた吾川村の実家で親戚の人々から

可愛がられていた孝之が遠い異国に渡るような事態を

どんなにか心配されたであろうと想像する。

しかし伸之の妻都遊子(つゆこ)は、しっかり者で

新天地での暮しを楽しみにしていたようだ。



伸之は山奥の家に生まれながらその母丑世(うしよ)が賢母で 

長男としての伸之に多くの才能を見いだし、早朝に豆腐を作って

山の上まで歩いて売りにいったり 小さなよろず屋のような店を

切り盛りしたりして家計を盛り立てていたという。


伸之の父は漢学者で小さな村の村長として人々に信頼を得て

静かな老後を過ごしていた。

夢と希望を持って財産を少しでも増やそうと渡った満州であったが

それから十数年を経て第二次世界大戦の敗戦をその地で迎え、

15才になった孝之は9才の弟と二人でこの国道33号線を

古いバスに乗って帰郷したのだった。


                  つづく



by akageno-ann | 2024-09-17 08:06 | エッセ- | Trackback