小説「仁淀川に帰す」始めました
その2
旧満州での暮しには、お手伝いさんもいて
孝之は可愛がられて育っていった
日本人学校では父伸之も母都遊子(つゆこ)と共に教壇にたっていた
伸之は師範学校で音楽を専攻していてピアノと歌がうまかった
またなかなかの男前で見栄えよく妻が心配するほど、もてていたようだ。
伸之は若い頃、高知市内の小学校教員時代に都遊子と恋愛し、
一人娘と結婚するのであるからかなり誠実に振る舞っていたようだが、
外部からの横やりは時々に都遊子を嫉妬させたのではないか、と
息子孝之は大きくなるに連れて感じていた。
ピアノを弾く父親がかっこよく見えて「ピアノをやりたい」と願ったが
どういうことなのか「男はピアノなどやらんでいい」と突っぱねられて、
その代わりのように剣道と 書道をしこまれた。
父伸之は剣道も有段者で書を得意としていた
かつての師範学校は実に多岐にわたり高度な技術を
身につけた教員が誕生していた、と思えた。
孝之の成長の記録であるアルバムには外地であるのに
折々にきちんと撮影された写真が何枚もあった。
都遊子はそのうちの何枚かを必ず手紙に添えて
実家の母宛に送っていたのだった。戦後に満州時代の写真が
実家にあるのはそのせいのようだった。
満州で5年が経った頃 孝之の弟満夫が誕生した
その際には高知からはるばる満州の奉天(現瀋陽)まで大きな
信玄袋をかついで都遊子の母香恵が一人で船で手伝いにやってきた。
孫に会いたいという強い思いが60才に近い女子を
一人旅に駆り立てているのだった。
母都遊子は丙午(ひのえうま)の生まれでなかなか気性が激しかった。
察するところ高知の学校でも浮名を流しそうな夫をこうして
外地へ転勤させたかったのではなかったか、と勘ぐった。
孝之はそんな風に父伸之を尊敬しながらも男の道の難しさも学んでいたのだった。
満夫は実に大人しく可愛い弟だった 「にいちゃん、にいちゃん」とついてきて
なんでも兄の真似をしようとして、あるとき冬の氷のはった校庭で
下駄にスケートの刃をつけただけの履き物で上手に滑る孝之を
真似して氷の上で転び大けがをしてしまったこともあった。
以来、孝之は満夫の面倒を人一倍よくみるようになった。
つづく
by akageno-ann | 2024-09-18 16:51 | エッセ- | Trackback