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この日本は


昨日の夕方の風景も



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今朝の遅い朝焼けも

秋になりました


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風にゆれる芒もこの秋を
知らせてくれています。

待ちに待った2024年の秋


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それなのにこれから良い季節だと
いうのに金沢の能登半島は
なんという悲惨な災害に
再び襲われ、友人宅は

大丈夫だった、と報告されましたが
不安が強く精神がもたない、と
話されました。


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公園の池にやっと戻って来た
アオサギに日本の無事を祈りたく
しばらくその姿を拝んでいました。





「仁淀川に帰す」という小説を
始めました。その5です。

お時間ありましたらmoreへ






その5

 終戦後まもなくソ連軍の突然の参戦により奉天は真っ先に

突破される地として疎開命令が出た。

しかし孝之は軍国少年の心のまま

「ここで戦って死ぬ」と言う覚悟だった。



その姿に病身だった都遊子もまた「この地に残る」決心をしていたのだ。


しかし状況は益々悪化するし、母の容体も思わしくなく、

そうこうしているうちに寝たきりの都遊子は亡くなっていた

実母の夢をみたらしく、日本に帰りたいと言い始めた。



父伸之はその姿を見て、日本への引き揚げを決心したのだった。

それほどに家族の気持ちがそれぞれに揺れ動いた時代背景があった。


長く満州で過ごした孝之も多感な青年に育ちつつあり、

思いを巡らせながら両親の気持ちに添うしかない、と思っていた。


4人家族は一つの気持ちになって都遊子をとにかく生きている内に

ふるさと高知に帰そうとしたのだった。


引揚げ船リバティ号は大きな時化に遭い、益々都遊子の容体を悪くし、

船が舞鶴港に停泊する少し前に赤十字の船が来て都遊子と

付き添いの夫伸之を乗せて舞鶴の病院に連れて行くことになった。



そのことを幼い満夫は理解することもできず 

「かあちゃん かあちゃん」と泣き叫んで

その船を追おうとするのを孝之は涙をこらえて

満夫の肩をしっかりと押えて両親を見送ったのだった。


父伸之から

「いいか四国まで一緒の方たちにおまえたちのことを

頼んであるから二人で吾川村まで帰るのだよ」と言われて、

15才の孝之は毅然としようとするのだった。


相身互い、二人に声をかけながら瀬戸内海を船で渡り

高知駅までの土讃線に乗ったとき、そこまで付き添って

いろいろ教えてくれた大人の人たちに感謝して 

そこからは二人で帰るのだ、と心を引き締めた。

満夫も兄にしっかりついて歩いていた。


             つづく


by akageno-ann | 2024-09-24 12:06 | エッセ- | Trackback