かけがえのない日本の朝食
その7 祖母の記憶
孝之、満夫は無事に二人で満州から帰郷できた。
その二人の孫を山道でバスを見つけて乗り込んで来た祖母丑世は
この山村の村史に名を遺す傑女と言われた。
知人の借金のかたに取られていた山の中の田畑を10年ほどで
取り返せたのはこの祖母の力であることをもう後で孝之は知ることとなる。
孝之の父伸之の電報で孫たちが帰郷することを知った丑世は
取るものも取り敢えず隣に住む妹の寿恵を連れて、家の前を
通りかかったトラックに乗せてもらうことができた。
と、いうのも二人は峠の茶屋と 雑貨屋をそれぞれの家で営み、
しばしばその運転手も停車して顔見知りであった。
それにしても滅多に山を下りない二人が血相を変えて道ばたで
手を振っているので何事か、と思ったそうだ。
パッシングなどと言う言葉も知らないこの老女の思いがすぐに
伝わって寺村隧道の向こうにバスのヘッドライトが見えたとき、
そのバスに乗っていてくれと祈りながら運転手はパッシングをした。
運転手の脇から「孝之と満夫」の名を告げると 夕暮れの中で「はい!」と
男の子の声が返ってきたときの安堵感はその後もずっと忘れられなかった。
昭和21年の6月末のことだった。
後にたまにその茶店に車を止めるとそれはもう大歓待してくれる老女がいた。
丑世は難儀な子ども時代を送ったが 姉妹でこの村に辿り着いて
10才ほども年上の愛助と福助という兄弟に嫁いだ。
丑世は愛助の優しい性格を敬い、この山村で役にたとうと、
茶店だけでなく、早朝から大豆を挽いて固い田舎の豆腐を作り、
山の上に売りに行き、帰りに山の上で仕入れてきたミカンなどを
店に置いて売ったりしていた。
働くことを厭わぬ実に愛情深い人であった。
つづく
by akageno-ann | 2024-09-28 18:27 | エッセ- | Trackback