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秋の草花たち



ホトトギスが咲きました

秋明菊 不如帰 水引

好きな秋の草花です


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ご近所のキンモクセイを少し
伐採しました。

「高齢になると毎朝の掃除が
大変」とのことで、匂いを楽しむ程度に
と、言われて主人が高さを
希望通りにしてあげました。

我が家もかなり切りました。

この辺りはキンモクセイが多いので
毎年香りは散歩の中で
楽しめます


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大豊作の柿の木も
切り、柿を頂戴しました。

柚子と山椒の香りにも
長かった夏の疲れが
癒やされました。


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秋は余計に黄昏れ時が寂しく
また落ち着いて過ごせます

涼しさの中で生活の
整理をし始める気力が
出て来ますね。



「仁淀川に帰す」という小説を
始めました。その10です。

お時間ありましたらmoreへ







 その10

 今思っても 孝之の青春時代は複雑な世界の国々の中で
とりわけ中国大陸で日本の占領地としてあった満州で
生活していたのだから世界大戦の敗戦国となった
日本の状況を肌で感じなければならなかった


日本に引揚げて親族は皆歓待してくれただけではなく
殆ど何も持ち帰れるわけでもなく、人によっては
身ぐるみ剥がされて病の妻を背負っての帰国となった、と
父伸之を陰で揶揄したのはもっとものことだった。

そしてすぐに妻の都遊子は亡くなり、やっとの想いで
葬儀を済ませ抜け殻のようになってしまった伸之に
追い打ちをかけるように、その父である愛助を
同じ年に亡くすのであった。


愛助は静かに伸之一家が無事帰国したことに
安堵してその生涯を閉じた。
享年65才であった。


この戦後すぐの日本では、そのように辛い思いを

重ねた人々ばかりと言っても過言ではない

哀しすぎる時代であった。

その父伸之を見ながら、哀しんではいられない孝之は

すぐに親戚からノーパンクタイヤの自転車を借りて隣町の

土木事務所に雇われて、とにかく仕事を得て、頑張ろうと

していた。


当時は様々な復興のために土木関係の仕事は引く手あまただった。

16才の孝之は向学心もあり、教えてもらう仕事を覚え

こで一人前になっていきたいと思ったところだった。


父伸之の落胆の大きさ、遺言書を書いている様子に

周囲の親しい者たちが後添えを紹介し、

伸之 満夫も納得して継母由岐を迎えた。


                 つづく



by akageno-ann | 2024-10-04 17:29 | エッセ- | Trackback