雨上がりに
その2 師範学校
孝之はやむを得ず受験した高知師範学校であったが、
学友たちも良いやつばかりで楽しさを見いだした。
はじめは男女別々で男子寮も実に愉快であった
クラブ活動も多岐にわたり 映画部 演劇部 文芸部
コーラス部 サッカー部野球部 バトミントン部 卓球部とあり、
ほぼ全てに孝之は顔を出していた。
そんなゆったりとした時代になっていたのだ。
演劇部では脚本を書き 助監督をし、高知新聞の
小さなコラムに「脚本が稚拙である」と酷評をもらっていたが、
周囲は新聞記者が見に来て、記事にしたことがすごい、
と慰めていた。
男子にしては163センチの小柄であったがすばしっこくて
足が速かったので早速サッカー部に呼ばれた。
しかしやはり野球が好きで一塁手を任された。
コーラス部の女教師からはボーイソプラノのような声を買われて、
発表会の時だけ参加した。
一番熱心だったのは映画部だった。
当時木下恵介、小津安二郎など名監督が誕生していた
その中で戦後すぐにフランス映画「天井桟敷の人々」をみた。
急速に敗戦国のことを忘れて 海外の事情を取り入れたりしていた。
町の小さな映画館では映画部ということで随分と親切にしてもらい
顔パスで木下恵介 「おやじ太鼓」を七回も観た。
そのころ、ふと映画評論家になりたいという夢があった孝之だった。
つづく
by akageno-ann | 2024-10-10 17:40 | エッセ- | Trackback