空気は秋ですね





その5 新米教師
父伸之も 継母由岐も 教師として戦後の日本で
新しい教育界で活動を始めた。
師範学校も時代の波に乗りながら若者たちを教育者に導いていく。
そんな中の学生たちは最初は戸惑いながらも伸びやかな世の風潮に
意外にすんなりと馴染んでいったのかもしれなかった。
今までの押しつけられたような軍国主義教育を若者たちは忘れ
伸びやかに教育を授ける教師になっていかねばならない。
新制の小学校の教師になった。
最初の赴任地は市内の仁淀川沿いの小さな町であった。
子どもたちが素朴で また家庭も農家や商家とその頃
新しい暮しの中で必死に働く人々ばかりだった。
若い坊主頭の新米教師でも親たちも子どもたちも
よくついてきてくれた。
当時は若い独身教師が輪番で宿直をし、喜んだ孝之は子どもたちを
夕方から集めて校庭で星空の観測をしたり、
日曜日は昼間に遊びに来た子どもたちと
百人一首のカルタ取りをしたりした。
親たちは心配するどころかそれを推奨してくれて
ふかし芋の差し入れをしてくれたり、暖かい素朴な支援をしてくれた。
小学校4年生の30人学級の児童は
「夏休みなどいらん、毎日学校に行きたい」など
言っていたようで孝之を喜ばせた。
運動会は地域と一体になって、町民たちもリレーなどに参加する
盛大なものでそこでも大人のリレーで孝之は足が速くて評判になった。
しかし校長はその人気に少し渋い顔をしていたようだ。
つづく
by akageno-ann | 2024-10-19 11:35 | エッセ- | Trackback


