寒暖の差にお気をつけて

その6
持ち前の負けん気を発揮し,ましてや子どもたちの知識を
吸収しようとする意欲が魅力的で、教師という職に就いたことを
後悔することなく進んでいた孝之であった。
仁淀川沿いのI町の小学校は一クラス40人以上の子どもたちが在籍していた。
当時の先輩教諭たちは実に教育に熱心で、後輩教師への指導も怠らなかった。
先ず、田中教諭は、門前の小僧でちょこっとピアノを弾けていただけの孝之に
アコーディオンも教え、2人で子どもたちの音楽教育に力を入れた。
毎日の朝礼に明るい歌唱を取り入れて合唱した。
同世代の教員仲間と学力別のクラス編成も行ってみて、
算数の学力を丁寧に一人一人に定着させることも試みた。
あの頃は新しい教育法を子どもも保護者も目を見張って
見守ってくれようとする風潮があった。
その田中教諭は間もなく上京し、東京都内の養護学校
(後の特別支援学校)へと転勤した。
大勢の中で埋もれてしまいそうな障害を持った児童に対しても
積極的に手を差し伸べていた人であった。
上京後も実に整った文字でその教育について細やかに状況を報告してきた。
彼は4年先輩であって、孝之をやる気のある後輩として導いてくれていた。
スポーツも音楽も実にセンスがあり孝之も敬意を強く持っていたのだ。
皆、教育に対して貪欲な時代であったのだ。
その間に孝之は下宿先の娘を紹介されて次第に互いに
惹かれあい結婚することになっていった。
戦後の日本も少しずつ落ち着きをもって進んでいた。
つづく
by akageno-ann | 2024-10-21 19:43 | エッセ- | Trackback



