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なんだか不穏



このところの世界的な自然災害 水害 地震の不安
そして観光旅行地での事件・事故
ニュースには不安なことが多いような気がして
年のせいかドキドキする。


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そして他国での争いごとも増えている148.png

両親を見送った頃はまだこのように
世の中に不穏な空気を感じなかった。

それはもう少し若い気持ちがあったから

せめてしっかりせねば、と

先日も8つ年下の妹にハッパをかけられた。



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日向ぼっこのさやか😸に
夫婦で癒やされる


小説「仁淀川に帰す」は
第二章その8です。

お時間ありましたらmoreへ
またよろしくお願いします。







 その8  結婚

 孝之としのぶは昭和28年の正月にしのぶの実家の神社にて

結婚式を挙げた。南国土佐といえども実に寒い日であった。

親族と親しい教員仲間で祝ってもらい、そのまま新婚旅行にも

行かずささやかな新生活をしのぶの自宅の二階ではじめた。


教師として夢中で子どもたちに向かい合っていた孝之はそれまでと

変わらず狭い二階に早速子どもたちを招いて新春のカルタ会を催した。

しのぶもその母かねも楽しんで子どもたちに汁粉など振る舞っていた。


子どもたちも新婚の先生に気を遣うでもなく、毎日曜日に勉強をしに

来たり カルタを取りにきたり、と賑やかな日々を送っていた。



神社の外れにある神職の自宅であったので皆親しみを持っていたようだ。

ついでに孝之の父伸之も 教員仲間と連れだって遊びに来たりしていた。

しのぶもかねも長男が上京してしまっていたから女所帯が賑やかになり、

よく接待したのだった。



後年になって、その頃の子どもたちが懐かしくも有り難くも

その頃を思い出して感謝するのだった。


昭和も30年に入ろうとして、まだ戦後の苦労は多々残っていても

前に進もうとする意欲で皆みなぎっていた時代だった。

そんな29年の夏に孝之としのぶに女の子が生まれた。



「満天の星よ 生まれし吾子祝え」 孝之はこの句を最初の

頁に記して我が子の成長記録を書き始めていた。



祖母となったかねも 「厳しく育てる」と宣言していたようだが 

その子が泣くとすぐに抱き上げてしまい、それこそ厳しく

育てたいと思っていた孝之の意志が揺らいでいた。


女の子だが泣き声も大きく、すぐに抱き癖のついてしまった子どもだった。

孝之の家でも しのぶの家でも初孫であったからすっかり甘やかされていたのだ。


しのぶは穏やかな性格でそれまでも神社を女手で切り盛りしていた

母かねにはかなわず子どもの養育にも随分と手を出されていた。

しかし子どもが生まれて2年ほど経った頃 

孝之は密かに上京しようと考えていた。


                      つづく


by akageno-ann | 2024-10-25 18:48 | エッセ- | Trackback