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年賀状



年賀状の季節になると今年もあとわずかと感じさせられる
まだ秋を楽しみたい

明日の3日文化の日は今年は入間基地の
航空ショーが予定されている

時々にブルーインパルスの練習の爆音が聞こえているが

今日は大雨、しかし皆文化の日は晴天になると信じている





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葉書が85円になり、記念切手が
あるので、今年はインクジェットの私製葉書が
残っているから、敢えてそちらに印刷しようか?

など話し合ってます。

賀状終いをする方の葉書も
早くにいただいていて、それも理解できます。


63円からいきなり85円はないな、と
感じています。


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いつも手本としている義父の年賀状の
お手本です。

あの頃親族の皆さんが義父の賀状を
楽しみにされてました。

野球大好きでMLBも熱心に
観戦していた義父

今年のドジャースの大谷選手や
山本選手の活躍をどんなにか
喜んだとつくづく思います。




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デコピンちゃんのこのハイタッチと
大谷さんの笑顔が忘れられません。

画像はネットより拝借してます

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小説「仁淀川に帰す」は
第三章その1で 東京へ
お読みくださって本当に
感謝します。

お時間ありましたらmoreへ
よろしくお願いします。






 第三章 東京へ

 その1 東京へ

昭和31

 先輩教師から「井の中の蛙」ではいけない、と教員6年目の孝之は

上京を奨められた。

東京の教育の研究が刺激的で若い内に刺激を受ける方がいい、というのだ。


周囲はかなり反対な意見もあったが、父伸之は自分の苦労した満州時代を振り返り

「それでも私は満州に行ってよかった」と語り背中を押してくれた。


親の有り難さを感じていた。とりわけしのぶの母はこれから益々可愛くなる

孫の亜実の成長を傍で見守れないことをどれほど悲しがったことか?と

そのときは想像できなかった。


しかし、しのぶが進んで東京についていくと決心してくれたことは大きかった。

しのぶは大人しく静かな暮らしを好んでいると思っていたが、

意外にも東京への新しい道に興味を持った。


それからはとてもしっかりと活動的に準備を始めた。

母のかねもかつて新婚時代から神奈川県に住んでいたことが功を奏して

あれこれと準備の手伝いをするのだった。


やっと2歳の亜実はまだ何もわからないままに近所の親しい人々との

触れあいを出発の日まで続けていた。



孝之が先に上京して見つけた間借りのような借家は三畳二間だった。

しかも真ん中に6畳間があり、そこも借家で別の家族が住んでいた。

偶然にも亜実と同い年の女の子がいて気の良い家族のようだったので

新しい東京での暮しに一筋の光りを感じていた。


そしていよいよ高知駅を土讃線で出発する日になった

あの頃の見送りは今の国際線の空港での別れのように賑やかで皆正装して

しのぶと亜実そして付き添いの孝之の弟満夫の3人を少し心配そうに見送った。


母のかねは出発間際まで亜実を抱いて別れを惜しみながら、

「じきに東京へ行くからね」と

心に決めていたようだ。

あの頃の東京までの旅路は12時間以上を要した。

東京駅にはもちろん孝之が迎えに来るのだった。


                     つづく


by akageno-ann | 2024-11-02 17:38 | エッセ- | Trackback