年賀状
第三章 東京へ
その1 東京へ
昭和31年
先輩教師から「井の中の蛙」ではいけない、と教員6年目の孝之は
上京を奨められた。
東京の教育の研究が刺激的で若い内に刺激を受ける方がいい、というのだ。
周囲はかなり反対な意見もあったが、父伸之は自分の苦労した満州時代を振り返り
「それでも私は満州に行ってよかった」と語り背中を押してくれた。
親の有り難さを感じていた。とりわけしのぶの母はこれから益々可愛くなる
孫の亜実の成長を傍で見守れないことをどれほど悲しがったことか?と
そのときは想像できなかった。
しかし、しのぶが進んで東京についていくと決心してくれたことは大きかった。
しのぶは大人しく静かな暮らしを好んでいると思っていたが、
意外にも東京への新しい道に興味を持った。
それからはとてもしっかりと活動的に準備を始めた。
母のかねもかつて新婚時代から神奈川県に住んでいたことが功を奏して
あれこれと準備の手伝いをするのだった。
やっと2歳の亜実はまだ何もわからないままに近所の親しい人々との
触れあいを出発の日まで続けていた。
孝之が先に上京して見つけた間借りのような借家は三畳二間だった。
しかも真ん中に6畳間があり、そこも借家で別の家族が住んでいた。
偶然にも亜実と同い年の女の子がいて気の良い家族のようだったので
新しい東京での暮しに一筋の光りを感じていた。
そしていよいよ高知駅を土讃線で出発する日になった
あの頃の見送りは今の国際線の空港での別れのように賑やかで皆正装して
しのぶと亜実そして付き添いの孝之の弟満夫の3人を少し心配そうに見送った。
母のかねは出発間際まで亜実を抱いて別れを惜しみながら、
「じきに東京へ行くからね」と
心に決めていたようだ。
あの頃の東京までの旅路は12時間以上を要した。
東京駅にはもちろん孝之が迎えに来るのだった。
つづく
by akageno-ann | 2024-11-02 17:38 | エッセ- | Trackback