西田敏行さんを悼む
その2
「きゃああ あっぱいね~~~」
長旅の疲れを見せず幼い亜実は初めての東京での一声だった.
「あっぱいね」は幼児の方言で光り輝くネオンを見たときの
幼子の正直な感想であった。
その笑顔に疲れた大人たちは大いに癒やされて、
その光景をずっと忘れることはなかった。
借家の小さな部屋は二つに分かれていたのが幸いして
付き添ってきてくれた弟の満夫をゆっくりと休ませることができ、
また久しぶりに親子三人が川の字で眠った。
それから二日ほどで満夫は高知に帰らねばならず、
ろくに東京案内をできなかった。
きっといつかゆっくりと遊びに来てもらうから、と約束して
今度は三人で東京駅へ満夫を送った。
寝台車で夜半に東京駅を発つと朝方宇野駅に着き、そこから
宇高連絡船で高松に渡り、そして土讃線で高知駅に向かうのである。
この宇野駅からの道行きは満夫が9才の頃 兄孝之と二人だけで満州から
引揚船で舞鶴に着いてから辿った行程だった。
満夫の一人での初めての旅であった。
東京の兄たちの家の狭さは心配になったがきっといずれは
自分の家を持てるであろう、と満夫は祈った。
「自分は東京にでることはしない」となんとなくその時思ったのは、
高知が好きだったのか、少し都会は気後れしたのか、
その時は、まだわからなかった。
しかし兄たちが大きな決心をしたことは賛成であったのだ。
「にいちゃんは頑張るな」とそれも何となく感じていたことだった。
高知に帰り着くと父伸之が駅で待ち構えていて、
夕飯を中華料理屋でご馳走してくれた。
先ず、伸之が東京の様子をしっかり満夫から聞きたかったのであろう。
祖母や継母 またしのぶの母が根掘り葉掘り三人の様子を
聞きたがっているにちがいなかったが。
つづく
by akageno-ann | 2024-11-04 19:40 | エッセ- | Trackback