今年特にたくさん聞いた言葉は
「今までに経験したことのないような大雨」
など、自然災害における気象庁の会見に
これからのことを不安に感じるようになりました。
ガーデンは菊が賑やかに咲いてくれています
不安といえば国際電話で「法務省からの通告」
みたいな音声電話が入った。
友人から聞いていたのでもちろん無視したが
それにしても自分の電話番号が流布していて
海外からの不正電話に使われていると
思うだけで不快です。
ブログにも書いて下さっている方があり
情報に本当に感謝したいです。
危険から我が身を守るにも正しい情報の共有が
あると少し不安が払拭されるようです。
「光る君へ」に私はすっかりはまりました。
先週の宇治の河原での道長とまひろの会話
「ふたりで川に流れてみませんか」
なんというなまめかしい愛情表現
共に死の道行きを思い描く・・・。
ある意味、あの時代
死というものが今よりもずっと
身近に感じられたのだと
老後をゆっくりと考えている場合では
ないのだと、思わされました。
小説「仁淀川に帰す」は
第三章その4です
お時間ありましたらmoreへ
よろしくお願いします。
その4
小さくても気兼ねのいらない我が家は地域環境がよかった
当時の自治会は高齢の小川さんとおっしゃるご夫妻が
会長をしてくださっていた。
小川さんは近所のアパートの管理人さんだった。
仕草も声も優しい方で小さな子どもには特に声かけをしてくれて
しのぶも良い場所に家を建てられたことをとても喜んでいた。
隣近所も6軒というこじんまりした路地のある住宅地
そこに亜実と同年の子どもが二人いた。
しげちゃんと きよちゃんだ。 偶然にしてもよい友だちがすぐできて
幼稚園から一緒に通うことになった。
「亜実ちゃん 遊ぼ!」
と、毎日路地で夕方まで遊んだ
亜実ははっきりと自分の気持ちを言えるこどもで、
意地悪なところがなかったので
他所のお母さんからも可愛がられた。
しげちゃんは身体は亜実より小さいのに運動が得意で
自転車にも補助輪なしで乗っていた。
きよちゃんは優しい女の子でお父さんは洋裁師だったので
いつもとても可愛い服を着ていた。
しのぶも型紙を貸してもらって亜実の服を作るようになった。
その頃、池袋にはキンカ堂という生地や手芸用品を扱う店が
あってたまに母子で出かけることがあった。
江古田という駅まで歩いて西武鉄道で池袋まで出たのだ
その江古田の駅の目の前に浅間神社があって、
子供心に神社の鳥居をみては
「あそこにおばあちゃんはいないの?」
とふるさと高知のしのぶの実家の神社のことを
思い出して尋ねる亜実だった。
つづく
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